
自分ルール改定セラピストのayaでございまーす

先日、またまたオータムフェストに行ってきました!
ラムチョップ50本食べようかと思ったのですが笑、「クロック」というカレー屋さんのビーフカレーもめっちゃおいしいから食べた方がいいよ!との密告を受け、行ってみる事に。
うまーっ!!!
一生食べてられる!!!
私そーゆーヤツです。笑
ではコチラの記事の続きいきますよー!
私は前世を生きた自分を見て
「足が悪くても、ひとりで出来ない事があっても幸せになれないなんて事はないんだ!」
「自分が幸せになるためにもっと積極的になっていいんだ!」
そんな風に感じていました。
ただ、3つのキーワード。
「自分にしかできないことがある」
「やりたい事はどんどんやればいい」
「役に立つとは、決して自分削ることではない」
これらを私はより深い意味で受け止めようとして、勝手に複雑化していたのです。
この時の私は
「自分にしかできないこと」と聞くと、
何か特別な生き方があるのかも?!なんて思っていました。
私はなんでもスピリチュアルっぽい方向に話を持って行って、現実に絡んでいない見方や、現実を放ったらかしにした解釈がキライなんです。
が、この時の私はまさにソレ!笑
「今の自分」を全然直視せずに、
「自分にしか出来ないこと」を探そうとしていました。
「特別な何か」を手に入れようとしたり、
他の人ができないこと、やっていないことに魅力を感じたり。
他人とは違う生き方で、「普通」と違うことが私の個性の出し方とも思っていました。
だから「普通だね」と言われることがとても嫌でした。
どうやったら「自分にしか出来ないこと」がみつけられるんだろう…と自分らしく生きる方法を探すようになっていました。
そしてふたつめの
「やりたい事はどんどんやればいい!」
これに関してはそもそもこの時、「やりたい事」の解釈を間違えていました。
それでもこの前世のセッションで得たものは本当に多く、
出来ない理由はただの言い訳。
やりたいなら「やりたい!」という気持ちだけでやってみてもいい!
と思えたことは、当時の私にとても大きな力をくれました。
そうして時は流れ…(ザックリ端折るやつ笑)
最近になってふと、あの時のセッションの事が頭の中で絵本を読んでいるように
ひとつひとつのシーンを思い出しました。
* 前世の私は片方の足が短くて、コッペパンみたいな木の靴を履いている。
* とても華やかな生活をしていて、黒人の少年だった時と比べ物にならないほどお金持ちのお嬢様なのに、ココロは満たされていない。
* 両親は私の足を人様に知られないようにしている。
* きっと私の足が変な事が恥ずかしいから、バレ無いように私を隠しておきたいんだ!と感じている。
* 人に手を借りる事に罪悪感を感じている。
* それでも私をとても大切に扱ってくれる人はたくさんいる。
こんなシーンが絵本をめくるように、ゆっくりと見えてきました。
そしてあの3つのキーワード。
「自分にしかできないことがある」
「やりたい事はどんどんやればいい」
「役に立つとは、決して自分削ることではない」
が浮かんできたとき、
そうか!!となったのです。
「自分にしか出来ないこと」とは、
特別な技術や知識を詰め込むことではなく
思いっきり「自分」を生きること。
世界中でどんなに素晴らしい功績を残したひとでも、私にはなれない。
どんなにそっくりな人がいたとしても、それは私ではない。
私は私しかいないんだ。
そんなの当たり前のことだけど、
それが本当はこの世でもっとも素晴らしいことで、
そんな素晴らしいこととは知らずに自分を雑に扱う日々。
自分にしか出来ないことは
私が私を満たし続けること。
そのために必要なことが、
「やりたいことはどんどんやる!」だったんだと気付いたのです。
やりたい事とは本当に些細なこと。
つまり、
今、喉が渇いた私に飲みたいものを飲ませる。
みたいなこと。
見た目じゃ喉が渇いたかどうかなんで、世界中誰もわからない。
気付いてくれる方が珍しい!
わかっているのは私だけ。
お腹が空いたら食べる。
疲れたら休む。
好きなら好きという。
嫌なら嫌という。
悲しいなら悲しむ。
これ全部、私にしかわからないこと。
こんな当たり前のことでも、なんとなく我慢してしまうクセが残っていた。
「今の自分」を無視していると、未来の自分が満たされているわけがないんです。
未来は「今」の延長にあるものだからこそ、未来を重視し過ぎて「今」を放ったらかしにしてはいけない。
未来に不安や心配があるのは「今」がそうだから。
そして3つ目のキーワード。
「役に立つとは決して自分を削ることではない」
よく、使命だとか試練だとか修行だとか言って
勝手に自分に苦行を与えようとする人がいる。
そうしないと素晴らしい人にはなれない。
苦しんだ分、幸せになれる。
苦労を知らない人間に人の気持ちはわからない。
という思い込みや、
辛く苦しかった自分が間違っていなかったと正当化したくて言っているのかもしれない。
でもきっと、
人はただ自分らしく生きているだけで誰かの役に立ってしまうことがあるんだと思う。
役に立とうと思わなくても、その存在がすでに誰かのためになっていることだってある。
自分の我慢や忍耐、苦痛の上に誰かの喜びがあったとしても、それを喜べない自分がいるならやらなくてもいい。
大勢の人が幸せと喜びの中にいても、
そこにいる自分が苦しくて悲しんでいるならなんの意味もない。
私は私のままで良いんだ。
ココロの底から湧いてくるものを感じました。
えーっと、なんだかんだかなり長くなっちゃったので、ラストは次回に続きます♡笑