は、自閉症の障害児を公立小中学校の特別支援学級で、健常児と交流しながら学ぶインクルーシブ教育をテーマにしていて、自閉症児の親のバイブルのように扱われていまして、この本の影響を強く受けた親の中には、子どもの障害の特性に合わせた進路を選択するというよりも、普通小中学校で教育を受けさせるということにこだわる人がいます。
障害児の親の中には、特別支援学校の方がサポートが手厚くて安心だから、支援学校に進学させたいと思っていても、特別支援学級への進学を勧められるケースもあります。
なので、特別支援学校へ通わせたいけれども、特別支援学級に通わせることになり、不安を感じておられる親御さんも少なからずいます。
特別支援学校への入学を勧められたにもかかわらず、支援学級に子どもを通わせている、もしくは支援学級すら拒否して普通学級に通わせている親御さんもいるのですが、そういう場合、担任はもちろん、支援学級の先生や加配の介助員の負担が大きくなって、他の生徒にしわ寄せが行ってしまったり、肝心の児童本人に必要な支援や配慮が行届かず、トラブルが起こってしまうということが多いです。
その一例が、岐阜県で起こった林間学校の女子児童行方不明事件だと思われます。
みいちゃんと山田さんの読者の中には、むぅちゃんが障害者の成功例であるかのような見方をされていますが、私的には、決して成功例だとは思っていなくて。
むぅちゃんのお母さんも、「言葉のシャワーを浴びることで成長してくれれば…」というような発言をしていますが、特別支援学級に入ることを勧められているにもかかわらず、普通学級を選択しているし、そのためにみいちゃんと一緒に売春させられたり、万引きさせられることになっています。
万引きの常習で刑務所に入ったことで、初めて、療育手帳を取得して、福祉に繋げることができたということを考えると、むぅちゃんのお母さんが障害児の母親の鑑であるかのような持ち上げられ方をするのは、違うんじゃないか?と、当事者としての私の率直な意見です。
みいちゃんにしても、パン屋さんを解雇された時に、店長さんが警察に通報していれば、むぅちゃんと同じ道を進むことができたのだけれども、パン屋さんの温情が裏目に出てしまったな。と感じました。
みいちゃんは極端というかバッドエンドの例としても、むぅちゃんのような形で犯罪に巻き込まれる可能性があるということは、女の子だけでなく、うちのように男の子の親もきちんと知っておくべきだと思いました。
というのは、男の子の場合は売春よりも、万引きや窃盗、詐欺等の犯罪に巻き込まれてしまう可能性があるからです。
それこそ、今報道で取り沙汰されているトクリュウの事件の首謀者達の隠れ蓑に利用されてしまう可能性があります。
そういう、社会の闇の悪意の存在について知る、という意義を持った作品ではないのかな、と思いました。
私が、みいちゃんと山田さんを読んで、一番、印象に残ったのは、みいちゃんが実家に戻った31話から最終話までのストーリーと、みいちゃんが中学生の時のエピソードでした。
そこで一番ゾッとしたのは、公立中学校の闇といいますか、学力も家庭環境も家族の価値観もまるで違う子ども達が、同じ教室で、同じ教師から学んでいる、という実態でした。
私は、小学校時代のいじめが原因で、少しばかり成績が良かったので中学受験しまして、私立の中学校に進学しました。
そして、息子は重度の知的障害で特別支援学校の中学部で学びましたので、公立中学校とは無縁の人生を送ることになりましたが。
その影響で、みいちゃんと山田さんを通して公立中学校の闇の部分を知ることになりまして、学力も家庭環境もまるで違う子ども達が同じ場所で学ぶことによって発生する闇=現在の日本の教育問題の根源について気づくことになりました。
多分、読者の大半の人は、公立中学校で学んできていると思われるので、その闇の部分に気づくことなくスルーしてしまっているのではないかと思います。
私立中学は、多少の差はありますが、少なくとも生徒の学力と家庭の経済状態はある程度共通していると思われます。
特に、私の母校はミッションスクールでしたので、生徒本人はともかく、親はキリスト教の教えというものに理解がある、ということが前提になっています。
私自身、母校に進学することができたお陰で、「イエス・キリストの教えが自分を守ってくれていた」と思っていますし、みいちゃんと山田さんを読んだことで、改めてその事実を再認識させられました。
けれども、公立中学校の場合は決してそうではなく。
校区という区切りはありますが、近隣地域に住んでいるという以外に生徒達に共通項がほとんどありません。
そのために、本来は接点を持つ筈がなかった子どもが友人となり、影響を受けてしまう、という危険性がある、ということに気がつきました。
小学生の間は、年齢的にも幼いために親からも学校からも、社会全体から守られていますが。
中学生になると、精神的にはまだ成熟しきっていないにもかかわらず、身体だけは大人になってしまうために、みいちゃんを罠にはめて万引きさせる女子生徒や、その女子生徒に唆されてみいちゃんを性的暴行する男子生徒のような生徒もいる訳です。
私立中学、特に私の母校のようなミッションスクールで女子校なら、そういう悪事に巻き込まれる可能性はかなり低い(皆無という訳ではありません)けれども、公立中学校にはそういう可能性が少なからずある、ということに気づき、危惧を感じました。
私立中学だけでなく、特別支援学校にしても、幸か不幸か、生徒にそこまでの悪知恵が働く生徒が存在しないお陰で、息子も私同様に、そういう闇の部分と無縁に過ごすことができました。
だからこそ、公立中学校で学んできた読者には気づかなかった、公立中学校の闇の部分に気づくことができたのだと思っています。
この点については、障害がある子どもを健常児に近づけることが子どもの将来の幸せを保障すると信じて疑わない、公立の小中学校で学ばせることに固執する保護者がスルーしてしまっている盲点だと感じました。
そういう点からも、みいちゃんと山田さんには、光とともに…に対するアンチテーゼとしての存在意義があるのではないかな、と思いました。
私は、今後、障害児の保護者のペアレントメンターとしての活動もしていこうと考えていまして、つい、光とともに…のような、自閉症児への理解啓発に繋がる感動的な作品に目が向きやすくなってしまう傾向に対して、みいちゃんと山田さんを読むことで、我が子の成人後に待ち受けている社会の闇の悪意の存在を知り、我が子を守る手立てを考えるきっかけにしようと思いました。
そのために、まずは放デイの保護者会で、未成年の子達の保護者の方を対象に、みいちゃんと山田さんをとっかかりにして話し合う機会を持とうと思います。

