「午後の最後の芝生」を読みました | グルコサミン博士のブログ

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村上春樹著短編「午後の最後の芝生」を読みました。

 

 

 

あらすじ

主人公「僕」が14-15年前を思い出すところから始まる。そのころの「僕」は、大学生で芝刈りのアルバイトをしていた。「僕」には、遠距離恋愛の同じ年の恋人がいたが、その夏彼女から別れの手紙が来た。もうデートのためのお金を稼ぐ必要はなくなり、「僕」は、芝刈りのバイトを辞めることにした。空虚な心を抱えて、最後の芝刈りに行った日の思い出。

 

暑そうだなぁ、(女主人からもらった)サンドイッチ美味しそうだなぁ、きっと空もきれいに晴れているだろう・・・など、読みながら想像する、しかも真夏の高原の晴天下での読書、タイミングよく心地よかった。

 

 

 

「暑い」や「うまい」を小説の登場人物に言わせず、読者に感じさせるのがこの小説の醍醐味なんですよね~。

 

 

それにしても主人公である「僕」は、結婚するにしろ付き合うにしろ面倒くさそうな人ですね。つまり他人に対して特に求めない代わりに、孤独癖があってちょっと頑固。真面目ですがプライドが高い。優しいけど人間味がない。そんな現代風の草食男子の「僕」なんだよね!だから19歳の女の子にはそりゃ面倒になりますわ!

 

そして、最後の芝刈りに訪れた家で、中年の女主人がいなくなったらしい娘の部屋を見せられて、娘のイメージを尋ねられたとき、「僕」は次のような感想を述べられた。

「問題は、彼女はいろんなものになじめないことです。自分の体やら、自分の考えていることやら、自分の求めていることやら、他人が要求していることやら…そんなことにです。」

 

このような自分が生きている世界にあまりなじめない人間、しかもなじもうと思わない人間。現代を生きる人間の多くに共感できることが村上春樹の人気の要因の一つなのかもしれません。

 

ところで、ツレが本短編小説の主人公は一度も登場していない女主人の娘であって、「僕」はただの語り手であるとそばで呟いていた。


読む人によってどのようにでも読めるところが、村上春樹の「技」かもしれませんね。