みんな大好きな軽井沢町、ひょっとしたら米軍の演習地になったかもしれないこと、ご存じですか。
荒井輝允著「軽井沢を青年が守った」を読みました。
戦後間もない1953年4月、当時の軽井沢町長が、米軍演習地誘致に乗り出し、浅間山を米軍の演習地にする計画が浮上しました。
計画を知った著者本人をはじめ、反対運動の先頭に立った青年たちの実名を挙げて当事者の視点から、反対運動に取り組み、そして地元の人から別荘民、やがて長野全県に反対運動が広まった結果、同年7月、計画は取りやめとなりました。その激動な3か月間を描いた本です。
もし当初の計画通り、浅間山が演習地になっていたら、今日も、小鳥のさえずりの代わりに、上空を米国の戦闘機が飛び交い、ネオン街と化した追分宿に、米兵の駐屯地である。そんな軽井沢ができていたかもしれません。
そして、当時の反対運動のリーダーが「・・・米軍の演習地は軽井沢の自然を壊し、風紀を乱し、農業を成り立たなくする、とんでもない計画で、やめてもらうしか方法がない。そして、今は民主主義の世の中だから、みんなが団結して反対すれば必ず勝てる」と語っていました。
沖縄の民意に反する辺野古基地のことを思うと、なんだか民主主義は後退しているように思ってしまって情けないのです。
アレキサンダー・クロフト・ショーを始め、軽井沢の発展に尽くした先人、そして軽井沢を愛したジョンレノン、軽井沢ゆかりの堀辰雄、室生犀星、立原道造などの文豪を讃える記事はよく目にしますが、素晴らしい青年たちが「火の玉の団結」で、演習地反対運動を繰り広げ、今日の軽井沢を守ってくれたことは意外に知られていませんね。そんな先人たちにも感謝を捧げたいと思います。
上信越道の碓氷軽井沢インターを降りて、おぎのやがある交差点を右折後、高岩山登山道入り口方面の脇道に入ってすぐのところに、「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」が建てられているそうです。今度機会があればぜひ行ってみたいと思います。



