「悼む人」をみました | グルコサミン博士のブログ

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自宅に天童荒太の本がたくさんあったので、直木賞受賞作「悼む人」を読み始めたのですが、ちょっと内容が重く感じられて、挫折してDVDを借りて、映画を見ました。

 

 

主人公である坂築静人という青年が、不慮の死に遭った人々を悼むため、全国を旅しているという物語。

終始、亡くなった人を、誰かれの区別なく、「誰かに愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたか」という観点から悼むという態度を貫き、ポスターにあるようなポーズというか、一連の独特の「儀式」が行われる。

 

 

映画を見て、「悼む」と「冥福を祈る」の違いを調べてみました。

悼むとは、人の死を悲しみ嘆く。

冥福を祈るとは、死後の幸福を祈る。

勝手に使ってはいますが、意味が全然違いますね。

 

ストリーには共感がなかったが、誰にも記憶されないことは、やはり哀しいです。

但し、私個人としては、多くの人に記憶される必要もないように思うのです。

自分のことを愛してくれた人(例えそれがたったひとりであっても)の記憶に残ったら、それはそれでとっても幸せなことであると思います。

 

思えば、「死」の前にあった「生」を引き受け、記憶するという青年主人公がやろうとすることは、ここのところ実感させられることが多くあります。

地震をはじめとする自然災害、そして病気や事故で命を奪われた人々の死は、一つ一つ丁寧に受け止めなくてはならないと改めて思いました。

連日、メディアを通して新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の数が報道されてきましたが、死を数だけで測ることをしてはならないと感じています。どんな人であっても、人生にはきっと何度かは誰かに愛され、誰かを愛し、誰かから「ありがとう」と感謝されたことはあるはずです。その死によって遺族や関係者は今まで愛した人たちとの穏やかな日々が消えてしまい、その悲しみはいつまでも続きます。なので、命の大切さ、死の重さを社会全体でもっと丁重に細かく扱うべきではないでしょうか。