私が信仰する「神社」 | グルコサミン博士のブログ

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とくに神道の信者ではない私ですが、信仰、というよりも信頼している神社があります。

といっても、とくに大きくも、有名でもない、昔でいえば村の鎮守様のような、小さな、無名といってもいい神社です。
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私がその神社(以下、神様、とよびます)を信頼するようになったのは、その神様との出会いの、不思議さのためです。


当時、私は、そのとき勤めていた、明らかなパワハラに悩んでいました。そしてこれも明らかに鬱状態にありました。


そのような状態にあった私は、当時知り合って日が浅かった現在のダンナさまと、厄払いのために近くのお寺または神社を訪ねることにしました。
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でも、その日に限って、最初に行った、江戸時代から続く由緒ただしい、全国的にも有名なお寺は、閉門間近かということで、けんもほろろに拝観を拒否されてしまいました。

その後、また別の神社に行ったのですが、こちらは修復中で、やはり参拝できず、最後には、「ほこら」のような神社、さらにはキリスト教の信仰宗派の教会の門までたたいたのですが、前者はあまりにも小さすぎましたし、後者はやはり鍵がかかっていて中にはいることができませんでした。


日も暮れかかり、もはやこれまで、と思って帰宅しようとしていた時、いつもならば私が運転しているはずなのにたまたまそのときは私に代わって運転していた現在のダンナさまが、(彼は、なるべく面倒な運転はせず、多少は遠回りでも運転しやすい道を利用するヒトなんです)、農道に沿って立っている鳥居を見つけてくれました。


地獄に仏、ならぬ神様、とばかりに、私たちは、躊躇うことなくその神社の境内に車をとめて参拝させて戴くことにしました。


そこで「びっくり」しました。

鳥居の側に建てられた石の柱には、けっして多くはない、私の旧姓と同じ神社の名前が刻まれていたのです。


私と現在のダンナさまが、その神様に導かれてその日1日を過ごし、その果てにその境内にたどりついた、と、無条件に「信じた」ことはいうまでもありません。


以来、私たちは、ことあるごとに、といっても年に三、四回ですが、参拝することにしています。


現在、私がグルコサミンを皆様にお届けする仕事を始めるきっかけとなった、あの苦しい日々をなんとか乗り切れたのはその神様のお蔭だと思っています。


そんなわけで、私は、その神社を(おそれながら)グルコサミン神社とよばせて戴くとともに、私の仕事がうまくいくことを、今日も秋雨の中でお願いに行ってきました。