情報の少ないスカイギターにつて
非常にくわしく紹介されているWいておりますEBサイトがありました
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7500/skyflame.html
こちらからご紹介の意味で転載しております
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http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7500/skyflame.html
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リュートではルネサンスの頃より7コース楽器も広く使われていたことから、イタリアにおける7コース・ギターの歴史は更に遡る可能性もある。その点につき、1555年にオスーナ(Osuna)で出版されたアンダルシアのフランシスコ会派修道僧ファン・ベルムード(Juan Bermudo)による『楽器詳解(EL LIBRO LLAMADO DECLARACIÓN DE INSTRVMENTOS MVSICALES)』には、ギターと特徴の似たリュート調弦の6複弦撥弦楽器ヴィウエラ・デ・マノ(Vihūela de Mano)の7複弦仕様(Vihūela de Heptè Ordenes)が調弦と共に図示されている他、16世紀の写本『ヴィオラの手引き(LA MANO A LA VIOLA)』にもヴィオラ・ダ・マノ(Viola da Mano)と呼ばれる7コースの撥弦楽器のタブラチュアが掲載されており、これらを直ちに現在のギターと直結させることは出来ないがギター成立の早い段階から周囲に7コース楽器が存在していたことを示していると言える。 19世紀末以降、ビジャレアール・デ・ロス・インファンテス(Villa Real de los Infantes)出身のギタリスト、フランシスコ・ターレガ(フランシスコ・デ・アシアス・ターレガ・イ・エイクセアFrancisco de Asias Tárrega y Eixea)と弟子のミゲール・リョベート(ミゲール・リョベート・ソレスMiguel Llobet Soles)やE.プジョール等の影響でターレガ奏法及び18世紀中頃に生まれた扇状力木配置(Fan Bracing)を確立したアントニオ・トーレス(アントニオ・デ・トーレス・フラドAntonio de Torres Jurado)による大型6単弦スペイン・ギターが各地に広がった。特にアンドレス・セゴヴィア(アンドレス・セゴビア・トーレスAndrés Segovia Torres)の人気によってトーレス型スペイン・ギターの世界的な隆盛が決定的なものとなった一方で、7コース・ギターを含むヨーロッパ各地のギターは姿を消した。現在これらはクラシックギター(Classical Guitar)の代名詞になったトーレス型スペイン・ギターとは区別され古楽器・民俗楽器という形で演奏されるのみだが、アメリカ大陸に伝えられた楽器は現地の音楽と結びつき、現在も利用されている。ただし、F.ターレガ自身は生涯6単弦ギターを使い続けたものの所有していたギターの1本はシャントレルのE4弦を取り除きブルドンにB1弦を追加したバリトン・ギター的な仕様にしている。これは1903年頃、F.ターレガ不在中に代講を務めていた実弟でヴァイオリニストのヴィセンテ・ターレガ(ヴィセンテ・ターレガ・イ・エイクセアVicente Tárrega y Eixea)が弟子のオレガリオ・エスコラーノ(Olegario Escolano)とE.プジョールへの学習課題として編曲したL.v.ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ファーン・ベートファンLudwig van Beethoven)作曲の交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」(Sinfonie Nr. 5 c-Moll op. 67 "Schicksals")の第2楽章アンダンテ・コン・モート(Andante Con Moto)のギター二重奏を効果的に実演するために帰郷後のF.ターレガが編み出したもので、その後L.v.ベートーヴェンの幾つかのピアノ・ソナタ作品などでも同様の調弦を利用してE.プジョールと二重奏を行っていたようだ。7単弦ギターという形で実現しなかった理由については断定できるほどの情報は無く詳細不明。気に入る楽器が無かった、長年6単弦を使用しており弦を増やすのは違和感があったなどの理由が考えられるが、彼の所有ギターを製作したA.トーレスが第7コースまでネック幅のある11単弦ギターを製作した経歴があり、同じくシウダード・レアル(Ciudad Real)のギター製作家ヴィセンテ・アリアス(Vicente Arias)も11単弦ギターや8単弦ギターを製作していることをからすると発想の前提として低音弦を追加する選択肢を知っていた可能性は高い。因みに20世紀後半のアメリカのロック・ギタリスト、ポール・ギルバート(Paul Gilbert)は18世紀オーストリアの作曲家&鍵盤奏者ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ヨハンネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルトJohannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus "Wolfgang Amadeus" Mozart)が作曲したピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330の第3楽章を「Whole Lotta Sonata」としてエレクトリック・ギターで演奏する際にギターを3パートに分け、低音パートはブルドンをA1に、高音パートはフレットを増設した25f仕様にするという形で6単弦ギターのまま対応している。彼はまた7単弦ギターを別の曲で使用しているが、こちらは以前から使用していたブルドン以外半音下げの6単弦ギターにE♭2、E♭3、E♭4の3単弦を加えたダブルネック・ギターの改良型として演奏性向上目的の為1ネックに纏めるという発想から製作されている。 ところでラテン・アメリカ諸国の事情を見ると、ブラジル連邦共和国(República Federativa do Brasil)では7コース・ヴィオラ(ヴィオラゥン・ヂ・セティ・コルダスViolão de Sete Cordas)として20世紀初頭からショーロ(Choro)、1920年代からサンバ(Samba)、1950年代末からボサ・ノヴァ(Bosa Nova)等に使われている。第7コースはチェロ(ヴィオロンチェロVioloncello)のブルドンと同じC2。起源についての詳細は不明だが、ショーロの楽団が19世紀末にヨーロッパへ演奏旅行をした際に持ち帰ったのがきっかけでコントラバスなどの低音担当楽器がいなかった代わりにベースパートを受け持ったのが発端という話がある。因みにここで言う「ヴィオラゥン(Violão)」とはギターのことを指す。ポルトガルではリュートやバンドーラ(Bandura, Pandora)、イングリッシュ・ギター(English Guitar)等と同系譜にあるポルトガル・ギター(Guitarra Portuguêsa)のことをギター(ギターラ)、スペイン・ギターをヴィオラ(ヴィオラゥン)と言う為。17世紀までは擦弦楽器をヴィオラ・ダルコ(Viola d'Arco)、撥弦楽器をヴィオラ・ダ・マノといったように共鳴胴に棹のついた楽器全般を「ヴィオラ(仏語ではヴィオルViole、西語ではヴィウエラVihuera)」と呼んでいたことやギターと調弦則や音域が近似している、楽器を足で挟む擦弦楽器のガンバ属、その元になった前述の撥弦楽器ビウエラがスペインで好まれて使われていたことの影響かと思われる。現在の仏語や伊語でもヴァイオリン属のヴィオラのことは単に中音域を意味するだけの「アルト(Alto)」という言葉で呼ばれている。またガンバ属の中低音楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da Gamba、バス・ドゥ・ヴィオルBass de Viole)でもソロ等で7単弦仕様が使われていた。なお、離島ではポルトガル領アゾレス諸島の聖ミゲル島で使われるギター、ヴィオラ・ダ・テルセイラ(Viola da Terceira)にも第1~3コースを複弦、第4~第7コースを三重弦とする7コース18弦仕様が存在するが、何時頃現れた物かは現在調査中。 この他中南米各地の音楽でも7単弦ギターは利用されており、メキシコ合衆国ハリスコ(Jalisco)州アウトラン・デ・グラナ(Autlán de la Grana)出身の作曲家でありギター及びチェロ奏者でもあったラファエル・アダメ(ラファエル・ゴメス・アダメRafael Gómez Adame)は、1930年頃に7単弦ギターを使った「ギター協奏曲 第1番(Concierto No.1 Guitarra con acompañamiento de Orquesta)」を作曲・演奏しており「20世紀最初のギター協奏曲」と言われている。また1933年までには「コンセルティーノ第2番(Concertino No.2 Guitarra con acompañamiento de Orquesta)」を作曲、こちらにも7単弦ギターが導入されていると思われる。R.アダメはこの他フリアン・カリーリョ(Julián Carrillo)のグルポ13(GRUPO 13)の初期メンバーとして24分律ギターのための楽曲も作曲・自演している。 一方、北米アメリカ合衆国ではジャズ(Jazz)においてジョージ・ヴァン・エプス(George Van Eps)が5単弦バンジョー(5-string Banjo)、6単弦ギター,を経て1937年に自身のエピフォン(エパミノンダス・スタトプロEpaminondas "Epi" Stathopoulo)製ギターをニュー・ヨークのエピフォン社(Epiphone)の工房に持ち込み改造、ブルドンにA1を導入した。そして1968年にはグレッチ(フリードリヒ・グレチュFriedrich Gretsch)からシグナチュアモデルも発表している。母親がピアノ奏者だったことからピアノに影響を受けたことがきっかけのようで、7単弦ギターの響きを「Lap Piano」と形容している。また、製作途上では別の6単弦ギターでターレガと同様E4弦を取り除いた上でブルドンを追加する調弦を実践している。 G.ヴァン・エプス以降、ロン・エシェテ(Ron Escheté)やバッキー・ピザレリ(ジョン・ポール・ビザレリJohn Paul "Bucky" Pizzarelli)及びジョン・ピザレリ(John Pizzarelli)父子、ハワード・モルガン(Howard Morgen)、アラン・ド・モーズ(Alan de Mause)、ハワード・オルディン(Howard Alden)、ジェリー・ボードワン(Gerry Beaudoin)、ヴァン・モレッティ(Van Moretti)、ジミー・ブルーノ(Jimmy Bruno)、ケニー・バーレル(Kenny Burrell)、アンディ・マッケンジー(Andy MacKenzie)等現在まで数多くの7コース・ギター奏者が生まれている。 |
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日本では奈良時代伝来当時の4f4単弦仕様や中国では既に廃された撥(Bachi)による奏法が現在も維持されている。また奈良(Nara)の東大寺(Tōdaiji)正倉院(Shōsōin)所蔵の5単弦仕様は古来のものとしては世界に唯一現存する5単弦琵琶で当時の調弦や利用法は判明していないが、平安時代までは貴族の娯楽としての器楽演奏の中でも5単弦仕様が利用されていたようだ。一方発祥地のペルシャから西方に伝えられリュートの起源ともなったウード(‘U-do, عود)に第5コースが加えられたのは9世紀頃で、アッバース朝(al-Dawla al-‘Abbāsīya, الدولة العباسية)期バグダード(Baghdad, )出身のイスハーク・アルマウシリー(Ishaq al-Mawsili)の弟子、ズィルヤーブ(アブ・アルハサン・アリ・イブン・ナフィ"Ziryab" Abu al-Hasan ‘Ali Ibn Nafi‘ "زرياب" أبو الحسن علي ابن نافع )によると言われている。彼はフレットレスの指板に仮想フレット線も加えた他、音楽理論を大成し中東、スペイン、ジプシー音楽の起源となったと考えられている。後に後ウマイヤ朝(The Caliph of Córdoba, خليفة قرطبة)の首都コルドバ(Córdoba)へ移り、アブドゥ・アッラフマーン2世('Abd al-Rahmāan II, عبد الرحمن الثاني)の宮廷音楽家となった。このことがきっかけでウードや食事作法、新しい髪型をキリスト教世界に伝えることとなった。現在ウードでは6複弦仕様も存在しており、こちらは19世紀になってから加えられたものだがその由来については詳細不明。 またこれらとは別に近代に入って筑前琵琶(Chikuzen Biwa)や薩摩琵琶(Satsuma Biwa)においても5単弦仕様が生まれ、現在も継承されている。筑前琵琶が薩摩に渡り独自に発展、5単弦化したものが筑前琵琶に饋還したようだ。 これらの俗琵琶(Zoku Biwa)は唐代の仕様を残す楽琵琶(Gaku Biwa)とそれほどフレット数が変わらない一方で、明の第3代成祖永樂帝朱棣による遠征以降越南(現呼称ヴェトナム民主社会主義共和国Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghîa Việt Nam)に伝わった琵琶ダン・ティ・バ(Ðàn Tỳ Bà)は16f4単弦仕様で撥も使用せず現代の中国琵琶に近くなっている。 尚、「弦」の代わりに「絃」という字をあてることもあるが、これは旧表記(弦の旧字というわけではない)。本来「弦」は弓に張った糸のことを意味し、「絃」は楽器に張った糸のことを指す。また弦楽器の発祥は弓に張った糸を弾いて音を出したことにある。 |
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製造年はメディアによって1975年と1976年に分かれるが、1975年発表の『IN TRANCE』レコーディング直前に購入したことや同アルバムのジャケットで女性が持っている物がそれであるとU.J.ロートが述べているところから本稿では1975年を採用した。 PUは高さを変更しており、センターはやや低め。これはセレクターを使わずに多少の音量・音質がコントロール出来るとの考えによる。 アームは「ウェイング・バー」と名付けており、過激なアーミングによって市販品が折れてしまうために取り替えたとのこと。 1978年の段階で15本くらい取り替えているとコメントしている。2004年の北米ツアーでもリハーサルの際に折れて急造したことがあった。きっかけはリッチー・ブラックモア(リチャード・ハロルド・ブラックモアRichard Harold "Richie" Blackmore)だが効果自体はジミ・ヘンドリクス(ジェイムズ・マーシャル・ヘンドリクスJames Marshall "Jimi" Hendrix)が行っていた表現を狙ったものでスコーピオンズ時代から使われていた。製作者は同バンドのベース奏者フランシス・ブッフホルツ(Francis Buchholz)。なお、テンションスプリングは3本または5本。
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