情報の少ないスカイギターにつて
非常にくわしく紹介されているWいておりますEBサイトがありました
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7500/skyflame.html
こちらからご紹介の意味で転載しております
閲覧など、作者sまへは
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7500/skyflame.html
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1888年になるとВ.В.アンドレーエフと貴族・富裕層の知人8名によるバララーイカ愛好者サークルが結成されて都市部の流行音楽、民謡、クラシックを扱ったコンサートを行うと評価を得てアンサンブルが流行し、楽器も粗悪品から高級品まで数多く出回るようになる。 1896年には後に「バララーイカのストラディヴァリウス」と称されるようになるマーリイノ村の家具職人С.И.ナリーモフ(С.И.Налимов)が、中音域のセクンダ(Балалайка Секунда)を製作。オーケストラの編成が行われ各楽器の調弦も設定された。この際ピッコロ、ディスカント、テノールのバララーイカ3種はドームラが旋律楽器として導入されたことにより消滅している。調弦はロシア農民の楽器に多かった4度調弦が導入された。残ったバララーイカのうちプリマは独奏としても利用されるが、セクンダ、アルト、バス、コントラバスはアンサンブルやオーケストラの中でのみ利用されることから伴奏バララーイカと呼ばれる。奏法は人差し指でオルタネイト・ピッキングを行うブリャツァーニエ(Бряцание)、親指でダウンストロークを行うシチポーク、ギターでのラスゲアード(Rasuguead)奏法にあたるドローピ、リュートでのフィゲタ(Figueta)奏法に当たるギター奏法(後にダブル・ピッツィカート奏法と呼ばれるようになる) や、トレモロ奏法など。 ドームラは伝説上の楽器ドムラーを語源とするが楽器自体はバララーイカの一種で、1896年にВ.В.アンドレーエフのサークル仲間がヴァトカ県から持ち帰った際ボディ形状が異なったことから В.В.アンドレーエフが勘違い、ドムラー復元のつもりでС.И.ナリーモフに製作させこれをドームラとし、合奏用の同属楽器も生んでいる。奏法は当時マンドリンが流行していたことからプレクトルムを使ったトレモロが採用されたが、後にБ.С.トロヤノーフスキーがフィゲタ(ダブル・ピッツィカート)奏法を導入し無伴奏独奏楽器化、1920年代以降はピアノ伴奏を伴った独奏へも発展している。合奏ではバララーイカを伴奏に旋律楽器の役割を持ち、これに撥弦楽器グースリ(Гусли)の改良型を加えて大ロシア・オーケストラを編成する。調弦は4度だが1909年にС.ф.ブーロフが3単弦ドームラを改良した5度調弦4単弦ドームラを大小5種類製作、弦楽を編曲せずに弾けるオーケストラを生み出している。 こうして19世紀末以降バララーイカは農村での本来の使われ方から独立した道を歩み始め、現在に至る。なお、バララーイカでの27f仕様はオーケストラ結成時、交響楽団を参考に行われた音域拡大で生まれたと思われる。 |
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ギターの愛好者としても知られる19世紀イタリアのヴァイオリニスト、ニッコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini)はラコート製6単弦ギターの初期モデルのコピーであるジャン=ニコラ・グロベール(Jean-Nicolas Grobert)製ギターを1830年頃使用していた。グロベール製ギターはフランスロマン派音楽の先駆的作曲家ルイ・エクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)が所有していたことでも知られる。また当時の7単弦ギター奏者としては古典期を代表する作曲家、声楽家&ギタリストであったバルセローナ(Barcelona)出身のフェルナンド・ソル (ホセ・フェルナンド・マカルリオ・ソルス"Fernando Sor" José Fernando Macarurio Sors)やビシェーリエ(Bisceglie)出身のマウロ・ジュリアーニ(マウロ・ジュゼッペ・セルジオ・パンターレオ・ジュリアーニMauro Giuseppe Sergio Pantaleo Giuliani)も7単弦ギターの利用実績がある他、F.ソルの弟子に当たるフランスのナポレオン・コスト(クロード・アントワン・ジャン・ジョルジュ・ナポレオン・コストClaude Antoine Jeane George Napoléon Coste)やF.ソルとも親交のあったロシアのギタリスト、ウラディミール・モルコフ(ウラディミール・イヴァノヴィチ・モルコフВладимир Иванович Морков)等がいた。 |
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