今朝TBSラジオを聴いていたら構造計算の改ざん関連のニュースコメントがされていた。

1級試験は戦後まもなく設立された歴史ある、毎年合格率3%前後の難関試験で、平均31歳。その建築士の中からいわゆる建築家といわれる意匠分野専門(が多いらしい)の方が出てくるわけだが、驚いたのは世界で登録されている建築家のうち1/3は日本人で1級建築士から生まれているというのだ。
注文建築ではもちろんデザインだけかやっていないのではモノがたたない。支える構造設計のような専門スタッフも1級建築士になるが現状下請けでありあまり報酬も良くないらしい。注文建築なだけに余計にこだわりが施主にも強いのだろうが、数々の変更点が発生する。ではデザインが変更(たとえば壁がガラスに変更になったなど)になったからといって再度計算するのかというとそういうものでもないらしい。怖い話だ。現在は全体を管理する建築士を考えているらしい。「らしい」という表現を多用したのは、調査しても実態がつかめないからだ。建設予算はよく「どんぶり勘定」などと揶揄されるが、なんとなくで進んでしまう世界なのである。また、法律がここまでって言ってるから、ここまでしかやんないよ、という世界でもある。自分も建築校に通っていたので、近くにいろんな先生がいたがあのイーホームズ(確認申請機関)から来ていた構造の先生もいたし設備専門の先生もいた(大体ゼネコン出身が多かった)。さすがに意匠はいなかったが。(なぜか人間的な狭さを感じたのだが)
今考えると職域が法律や厳しい実力社会なので分野が違うと(意匠、構造、設備、積算)まったく仕事が違ってしまうからなんだなと思う。いまでも忘れないのが、普通はどこでも仕事を取るのが優先事項なので、デザインとか見積もりはできて当たり前だと思うのだが、特に図面工数や施工、積算、構造屋などの下請け工数で活躍している「たまごさん」たちはまったく企画とかデザインとかができなかったのだ。意外と経験年数もあったりするのだが、さらに驚くのが3DMyHOmeDesignerのような初歩的ソフトでも作れないことだ。(ましてや施工なんて.....)
自分たちは3DSMax,Cinema4D,Vectorなどで作っていくので(最近はREVITなども)正直なところ驚いた。
これっていまの学校制度全般に言えてるかもしれないが、「総合教育」が足りないと思う。総合教育がたりない=現実で要求される要素やレベルを考えないでコースを設定するので通り一遍すんだら「あとは知らないよ」「あとは実務経験でなんとかして」とほったらかしにしてしまう。実際には実務についたあともさらに研鑽を積んでいかねばならないのに。
よく考えてもらいたいのは1級建築士事務所とはいったって零細企業。実態は家内制手工業だ。そんなところで生活が手一杯の状態でいい仕事が考えられるだろうか???
この資格というのが本当に曲者(くせもの)で僕はローカルスタンダード(グローバルスタンダードのマ逆)のきわみだと思っている。このローカルスタンダード、名称独占、業務独占など性質もさまざまですがほんとうにたくさんあります。
大体紙切れ一枚とれば独立できるなんていうのが妄想に過ぎないし、間違いの元だ。そもそもそれがなんなんだ?!とさえ思う。とはいいつつも毎年過去問を入手してしまうのは、慣習や勉強熱心というより、宗教だからなんだなと思う。
「こうすればどくりつできるんだよ」
「学歴があれば幸せになれるんだよ」
「資格があれば高収入なんだよ」
学問は真実を探求していくものだが宗教はそれぞれ信じるものが真実。
そう宗教ならば円周率は3でもいんですよね。
日本人が侵略戦争していなくてもいいんですよね。
そういえば誰かが言ってましたね「宗教は害悪だ」って。
宗教を信じる人は教祖にとってはみんな「カモ」そうか日本って妄想の国なんだな。大日本妄想教(狂)。
「建築士をとれば建築家になれる」
そんな宗教がまことしやかに流れているので「○合○○学院」「日○○院」みたいなところが毎年認定校よりも高い金を取ったりするんだよね。違法建築でひところす様なまねしてても自称建築家なんだよね。
資格=ローカルスタンダードは現実を歪曲するバイアスになっている一面もあるので本当に怖いですね。

現実にまともな建築の仕事をしているのは「建築家=最高の形にするまで責任を持って最後まで仕事をする人」だけですな。
企業内建築家も含めて。

ちなみにわたしは完全にVirtualでMatrixなひとなので「未建築家」 (自爆) ┐( ̄ヘ ̄)┌