起きた物事のこと(事象)しか話せない人々製造機
だよなーと思う![]()
起きた物事に対して
◎自分は、どう思うか?
◎自分はどうしたいか?
◎それは何のためか?
◎誰の役に立つことなのか?
などの問いに対する答えは
人それぞれ違っていいし正解は無い。
しかし教育では
「正解」とは教育する側が決めるのであってあなたじゃないよ
と、しつけるのだからね![]()
問いに対する「自分の意見」を持たず
正解を自分以外から与えられることに慣れ親しみすぎて、正解が無い状態に耐えられない人々が出来上がるのだ。
さて
夏になると、エコを名目に、冷房の省エネが呼びかけられる。
暑さとは耐えるべきものだ という人々の集合常識的な「なにか」があって、
クーラーで涼むことになにがしかの罪悪感を感じる人も多いだろう。
寒い冬に暖房器具であたたまることについてはさほど感じないのに。
寒さに対しては
寒さとは耐えるべきものだ
という認識はほとんど持たないのに
暑さに対しては
暑さとは耐えるべきものだ
という認識を持つ人が多い
そのことがワシはとても不思議で
いったい大衆がそう認識することに
何の目的があるのか考えてみた。
沖縄では、暑さで簡単にコロッと
人が死ぬ。
沖縄の男は働き者 なのだ。
そして、
頑張り屋が「まだ大丈夫だ」と我慢して
熱中症であっけなく死んでいくのは
良くあることだ。
だって、暑くて涼むことは
怠け者だという「なにか」があるから。
そして死んでいく。
あるいは、死なないまでにしても
消耗していく。
自分達自身でも
自分達が頑張り屋なことは評価せず
沖縄(南国)の男は働かない
という評価に甘んじている。
どこかで、自分達は
他県の人より怠け者=劣っている
と思っている。
だから、安く使われることに
大きな声でおかしいと主張出来ないのだ。
安く使いたい側は
人々が「涼むことは贅沢なことで、南国の男は怠け者だ」
という認識でいてもらったほうが好都合ではないか。
‥‥ということかもしれないし
そうじゃないかもしれない。
例えば、「南国の男は働かない」という前提があると、100人の働き者な南国の男を見ても目に入らず、ひとりの怠け者を見て鬼の首を取ったように「ほらやっぱり!」ってなるんだよね。(*怠け者=悪い 働き者=良い という話しでは無い。)
無意識に「当たり前」だと
思い込んでいることは無数にあるが
それらは
本当にあなた自身にとって都合のいいものだろうか?
誰が、何のために
それが当たり前ということにしたのだろう?
いつもアタマの隅っこに
そうかもしれないし
そうじゃないかもしれない
そんな視点を持っておくことで
「何らかの理由」から
抜けるカギを手に入れられる♪
‥‥かも、しれない
笑
あなたの地図はあなたの美しき意図を
叶えていますか?
古い地図も、愛からできていた
でも
もしそれが「我慢」を しなければならない
「地図」なのだとしたら
新しい地図を手に入れようじゃないか



