練馬の高齢のお父さんが、中年の息子さんを殺害した事件。

ニュースのコメントでは、お父さんを賞賛する声が多いです。

しかし、私は、これに違和感を感じます。

無論、ここまできてしまったら、追い詰められたお父さんの気持ちもわかる。

ある意味、追い詰められたという面だけで言えば、いじめ心中した仙台のお母さんに被る面もあります。

でも、仙台の事件では、お母さんを責めるコメントの方が多かったような。

 

しかし一方で、練馬の事件については、いじめ心中より、どちらかというと相模原の障害者施設の大量殺人に近いものも感じるんです。

知的障害者に襲われた経験のある人は、相模原の犯人の行為を否定できないと。

ただ、知的障害の人は、それこそその危険もあるからこそ施設に入ってる面もあるわけで。

一方で、今回殺された息子さんは、ひきこもりではあるけれど一応は健常者扱い。

しかし、長年ひきこもって仕事できないとなると、ある意味、障害みたいなものでは?と私は思ってしまいます。

 

日本に限らず、どこの国でも、障害のある子は親や産婆さんが始末してきました。

そもそも日本神話だって、最初の神様の子供は出来損ないで、捨てられてます。

 

私自身も妊娠中にクワトロテストを受けてます。羊水検査も検討中でした。高齢出産でしたし。

さらにそれを言い出したのは主人です。小学校受験を言い出したのも主人なんですが。

私は、ダウン症の子でも、障害のある子でも育ててみたいかも、という思いはありました。

でも、もし重度障害の子が生まれてしまったら、おそらく離婚して私一人で育てることになるのは確実。

そういう意味では、そんな相方と一緒の私は、川崎の事件の育ての親を批難することはできないのかも。

 

主人は、悲惨な物語は嫌いです。

だからレミゼやノートルダム、オペラ座の怪人なども「君、一人で行ってきて」という感じ。

いじめ被害経験者同士でも、これだけ違いがあるものです。

私自身も自分で自分のトラウマをえぐってるだけなのか、それとももっと悲惨な人もいるから自分はマシと、マウンティングしてるだけなのか、といったところなのですが。

 

もっと障害者に寛容な社会になれないものでしょうか?