昨日は、またまたおひとり様地味散歩に行っていて![]()
帰りの電車でね、凄い細かいドットばかりのゲームをやっていたら
酔ってしまい![]()
この私がですよ!!(笑)
夜ご飯、食べられないほど眩暈がして![]()
10時前には、ベットでゴロン![]()
10時過ぎにぽんくんから電話が来て、話していたら
ドンドン、お腹が空いて来て![]()
今度は、空腹で寝られず(笑)
家にあった、お煎餅とパンで空腹を満たし♪
無事就寝しました![]()
ご飯食べずに寝て、
2日間で3万歩以上歩いたのでね
マイナスにしようと思っていたのに、
就寝前に食べたら、意味ないじゃんね![]()
でも今朝の体重は、ここ最近の中では一番少なかったです
良かった良かった(笑)
その減らした分を、台無しにならない様に頑張りマッスル![]()
さて、前回の続きです![]()
この日は有休を取得し、
ランチはぽんくんと一緒に食べて
ぽんくんが仕事に行くため、一緒に桜木町駅方面へ![]()
その時に、横浜市役所敷地内で見つけた、遺構![]()
大好物、レンガです(笑)
航路標識管理所 倉庫基礎です
建物は3階建てで
だいたい、明治中期の物と思われています。
大岡川沿いの北仲通りには、
明治2(1869)年に、国内の灯台事業を取り扱う、灯明台役所(灯台の建設・管理を担っていた官庁の名称)が設置されていました。
その倉庫の基礎部分が発掘調査で発見されたそうです。
ブロ友さんが近くに来たときにはLINEして!って言ってくれてたんだけど
その日のブログを見たら、東京・有明に通っているとの事だったので
お声がけは断念![]()
ひとり散歩開始です![]()
まずは、
お花見では行ったことあるけれど
横浜市指定の、歴史的建造物はまだ、写真に収めていなかったので
見に行ってきました![]()
場所は、桜木町駅と横浜駅の間にある小高い丘
掃部山かもんやま公園
掃部山公園の歴史はこんな感じ
江戸時代までは、「不動山」と言われていましたが、
明治になって、日本初の鉄道開通(新橋・桜木町間)に携わった外国人鉄道技師の官舎が建てられ、開通後も鉄道用地として利用。その事から「鉄道山」と言われるようになりました。
明治17年に旧彦根藩士らが買い取って井伊家の所有に
大正3年に井伊家より横浜市に寄付され、掃部山公園として整備されました
尚、掃部山の名の由来は、井伊直弼公にちなんで命名されました。
井伊家の当主は代々、「掃部頭(かもんのかみ)」と呼ばれていましたが由来となっています。
※横浜市西区のサイトより抜粋
掃部山の象徴(笑)
井伊直弼公の銅像
これも横浜市指定の歴史的建造物
しかし、指定されているには銅像ではなく
台座!!
渋すぎる(笑)
コチラの台座は、花崗岩でできていて高さは6.6m
横浜開港50周年を記念して、旧彦根藩の有志によって
1909年(明治42年)に竣工しました。
台座の設計をしたのは、
旧横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)を設計した妻木頼黄氏だそうです。
その時に、一緒に井伊直弼像も造られましたが
第二次世界大戦中は、政府の金属回収指示によって銅像が回収されました。
現在の銅像は2代目で、
銅像は戦後の1954年(昭和29年)に開国100周年を記念して横浜市が再建したものだそうです。
そしてこの掃部山公園にはもう1つの、指定歴史的建造物があます
水泉です
1909年(明治42年)の横浜開港50年記念事業として、
井伊直弼の銅像が建立された際に、
直弼の四男である井伊直安氏によって寄贈されましたものだそうです
以前は、ここから水を出していたようですが
今は衛生上の問題から休止しているそうです。
何故、水泉か・・・
それは、
- 明治初期、掃部山は「鉄道山」と呼ばれ、外国人鉄道技師の官舎があり、地下水が蒸気機関車の給水に利用されました。
- 当時は水道が通っていなかったため、掃部山の湧水が重要な水源でした。
- 現在も、掃部山周辺の住宅街には湧水が出ています
明治時代には、近くにあった横浜船渠会社の従業員向けに、
飲食や買い物で賑わう場所として栄え、
昭和30年代には、銭湯、寿司屋、てんぷら屋、パン屋、雑貨屋などが並び、
活動写真(映画)や寄席もあったそうです。
横道には料亭や置屋が並ぶ「掃部山花街」も存在しました。


















