広島県福山市「鞆の浦」は 瀬戸内海のほぼ中央に位置し
潮の流れの変わるところ 古くから「潮待ちの港」として栄えた町です。

鞆の浦って
「流星ワゴン」のロケ地 「崖の上のポニョ」の舞台
また 福山雅治の「龍馬伝」では「いろは丸事件の章」の舞台になった所
そして ヒュー様の「ウルヴァリン SANURAI」のロケ地
ぐらいのミーハー的な知識しかない私でした

今回の旅行で 調べてみると 万葉集に 鞆の浦をうたった歌が詠まれるなど 万葉の時代から 多くの文人 歴史上の有名な方々と関わりのある町だと
初めて 知りました。観光地としては まだまだ穴場だということです。

お宿の「遠音近音」から 路地を抜けると すぐに港に出ます。
潮の干満に関らず船着けできる石階段、それが雁木です。
満潮時には最上段が岸壁となり、干潮時には最下段が荷揚げ場となります。
雁が飛ぶさまに似ていることから「雁木」と呼ばれるそうです。

あっ
ここは よく「流星ワゴン」の中で見た建物だ

あっ
向こうに見えるのは 「常夜灯」
日曜劇場「流星ワゴン」の中では 一雄が 子供の頃 家出して
隠れていたところですね。
といっても 視聴率10パーセント以下の番組だったから
見た人は 少ないかしら?
西島秀俊 香川照之 井川遥が 出演していた重松清原作のドラマですよ~

ちょっと お天気が良くないのが 残念ですが
この常夜灯のある風景は 鞆の浦を代表する風景です。
この常夜灯の近くにある「いろは丸展示館」に入りました。

いろは丸は イギリスで 建造された蒸気船で160トン
大洲藩が購入し坂本龍馬が所属する海援隊が 海運業のために
1航海15日500両で借りたもので
鉄砲や石炭を積んで 長崎から 大阪に向かう初航海でした。
下は 平成いろは丸
実際のいろは丸の半分ほどの大きさで 再現されているそうです。

いろは丸沈没事件は 1867年(慶応3年)4月23日
霧の深い深夜に起きました。
場所は 鞆の浦の南方沖の宇治島の近くです。
160トンのいろは丸は 紀州藩の887トンの明光丸と衝突し
沈没してしまいます。
鞆の浦で 竜馬は その紀州藩と 損害賠償をとるための
交渉をし 7万両(今でいうと25億円ほど?)の多額の損害賠償金を
受けとることになりました。
これが 近代海難裁判の先駆けとなりました。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」のいろは丸事件の章が ずっと
流れています。 福山雅治さん ステキ~

1988年から 鞆の浦の町おこしグループ「ともを愛する会」が
潜水調査をし 引き上げたいろは丸の遺物や写真を展示してあります。
いろは丸本体は 今も 鞆の浦沖に 沈んでいます。

引き上げたものは 石炭が多かったようですが このような陶器
船体の鉄材 部品 装飾品なども 展示されていました。
2階に上がると ぎょっ
えっ? あんたはん どなたはん?

坂本龍馬が 隠れていた升屋清右衛門宅の天井裏の部屋を
再現したものだそうです。
多額の賠償金を要求した坂本龍馬は 紀州藩主から暗殺される恐れが
あったため 桝屋では 天井裏にある隠れ部屋に滞在しました。
それから 7か月後の1687年11月15日に 京都の近江屋で暗殺されて
しまうのですが 竜馬は いつも 命を狙われていたのですね。
それにしても この人形は 不気味です…
福山雅治さんの等身大人形にしてほしいわ~

港から 町の方に入って 太田家住宅を見学します。
こちらでは スタッフの方が つきっきりで ガイドしてくださいます。

江戸中期から後期にかけて 保命酒屋中村家が所有していた家屋敷で
明治期に太田家がうけつぎ 今に至っています。
幕末の政変によって都落ちした三条実美ら尊王攘夷派の公卿7人が、鞆に立ち寄った際に一時の憩いを得たのが、この太田家住宅(旧保命酒屋)でした。
保命酒の製造場の蔵から 高貴な方を接待したお茶室から
いろいろと 説明をしていただき 案内していただきました。

相当な豪商のおうちらしく 一枚板の床の間 あじろ天井
坪庭 畳にいたるまで 贅をつくした造りになっていました。
が 私の気になったのは・・・
「これ なんですのん?」

これは 今でいう「音姫」だそうです。
えらい方が 用をたす音を 聞こえなくするように
お付きの家来が 栓をぬき
水をチョロチョロ出すんですって…

江戸時代から 「音姫」あったんですね。
これは 昔の桝です。

江戸時代 取引用の桝は 桝座である京都の福井家しか制作を
許されなかったのです。その福井家の焼き印が 入っています。
保命酒を計って このとっくりに入れて販売していたものでしょうか?

始めは 「見学するの~
もう ええんとちゃう?」
なんて言ってたパパも 詳しい案内をしていただいて
まだ ガイドの人と お話しているわ~
江戸時代初期に 中村吉兵衛が 家伝の薬法で 藩から 保命酒の専売販売権を与えられました。明治期に入り 専売権が なくなると保命酒醸造業者が
増加して競争が激化し明治34年に「太田家住宅」での製造を終えました。

その中村家の製造を受けついだのが 隣の通りにある
岡本亀太郎本店です。

岡本亀太郎本店の蔵元直営店舗は、かつて福山城内にあった長屋門です。
明治六年(1873年)廃城となり民間払い下げを行っていた福山城内の建物の一部を譲り受け、海路を船により運び、現在の地に移設されました。
福山市の重要文化財に指定されています。

店内に鎮座する『大きな龍の看板』も、当時中村家から譲り受けた
由緒正しい看板です。

保命酒は 桂皮 天草 高麗人参などの薬味16種を味味醂酒に
漬けこみ、じっくりと成分を浸出させてつくる薬味酒です。
350年来続く 健康酒としての歴史が あります。
「お酒でもあり 薬でもあった」保命酒は 福山藩を代表する
特産品として 大名や 豪商相手に 高値で売買されていました。

黒船ペリー来航の際 幕府接待酒として
「保命酒」が ふるまわれたそうです。

昔からの保命酒はもとより 現代の多様な好みに応じて
保命酒に しょうが あんず 梅 を漬け込んだもの 保命酒ゼリーなども
私達にも 受け入れやすい商品展開が されています。

私は 「生姜の助」と 酒のかすを 買いました。
この数日 風邪をひいたのか 咳が とまらなかったのですが
この「生姜の助」を 寝る前にお湯で割って飲むと 体がポッカポカして
寝ている間は せき込むことが なくなりました。
寝る前に おちょこ1杯ずつ 飲むことにします。
今度は 梅太郎 杏子姫も 飲んでみたいなあ~

交番も 町並みに溶け込んでいます。



昔ながらのお店もあり ちょっと はいってみたかったのですが
もう そろそろ お宿に入らないと もったいないので
また 今度… ゆっくりと…


猫ちゃんが いっぱい いましたよ 


この常夜灯に 灯りが 灯るのも見たかったわ~