STAP細胞とソーカル事件が示すこと。学問的真理は無意味と嘘の池に咲く蓮の華。安富歩氏 | Ghost Riponの屋形(やかた)

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STAP細胞とソーカル事件が示すこと。学問的真理は無意味と嘘の池に咲く蓮の華。
2014/03/27(木) マイケル・ジャクソンの思想 
http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1012.html

この問題についての連続ツイートをまとめておく。

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STAP細胞は、ソーカル事件以上にアカデミズムのあり方を浮き彫りにした。大半の研究は①良心的であれば無意味、②面白ければインチキ、のどちらか。 大昔の論文を見ればそうでしょ?にもかかわらず稀に③インチキでなくしかも意味のある研究がある。その奇跡に私は感動する。学問はそういうもの。

もちろんインチキでかつ無意味な研究も多い。学問的真理というのは無意味とインチキとにまみれた泥の池に咲く蓮の花のようなものなのだ。Nature とか Science というのは「タブロイド」だ、とアメリカのある学者が言っていた。泥の池は泥まみれ、タブロイドは嘘まみれ。何も驚かない。

問題は泥の池を「真水のプールなのでお金下さい」と国民に嘘をついていることだろう。「泥の池が大きくないと、蓮の花が咲かないのでお金下さい」と言うべきなのだ。泥の池で蓮の花を咲かせるのは真理を知りたいという情熱だけだが、情熱があると池から放り出されるので池が大きくないといけないのだ。

嘘と無意味にまみれた泥の池の、どこに蓮の花が咲くかは、事前には絶対にわからない。
だから、競争的資金やポスト争いはまずい。
嘘をうまくつく人のところに、すべての資源が集まるからだ。

そうなると泥の池の濁りはさらにひどくなって、蓮の花はどこにも咲かなくなってしまう。

無意味とインチキとにまみれながら、体裁だけキチンとしている論文が日々量産されるので、毎日、これを追いかけて読んでいると、頭がおかしくなってくる。
そうなると、「うまくインチキかまして体裁を整えるのが研究だ」という気がしてくる。実際、それで学会報告も論文も通過する。それが怖い。


昔、数理生態学のある分野の論文を書いて、関係論文をレビューしたら、大自由度力学系の知識が少しでもあれば当たり前のコンコンチキであることをめぐって、たくさんの論文が有名な雑誌に出ていたので驚いた。で我々の論文はリジェクトされた。あとで有名な先生が評価してくれて別の雑誌に出たのだが。

この記事(ツイート)は、鋭いと思う。
今回のSTAP騒動で、学問の世界も嘘まみれであることが、外部の一般人にもバレてしまったと。
(体裁だけキチンとしている論文→博士論文でもコピペOKなどと平気で宣う教授が居ることも)
権威の崩壊。ガラガラと音を立てて崩れている最中に見えますね。


東大つながりで載せておこう↓
外国人教授の見解は参考になると思う。
怪しい人らしいが、マトモな意見(笑)


Robert Geller ‏@rjgeller 3月26日
僕もジョークが大好きですが、苦笑いますが、ことは真剣です。博士号取得は一人前研究者認定を意味sします。イントロをコピペする者は分野の理解を示せず、学問を愚弄しています。@ootoku @onodekita コピペで博士号取る能力を認定して、ググル博士号を制定したらどうだろう?

Robert Geller ‏@rjgeller 3月26日
@hirokagi たまに某国営放送は真実を報道しますが、多くの場合報道しませんね。(典型例は3.11のメルトダウン報道の遅れでした)。今回、なぜか、見事タイムりな報道でした。#皆さんの公共放送

Robert Geller ‏@rjgeller 3月26日
お久しぶり英語の親父ギャグですが、理研、ネイチャー、ハーバード大、早稲田大、皆はmousetrapに捕まったね。


ソーカル事件について↓

ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソーカル事件
ソーカル事件(ソーカルじけん)とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal、1955年-)[1]が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。掲載と同時にでたらめな疑似論文であったことを発表し、フランス現代思想系の人文批評への批判の一翼となった。

事件の経過
1994年、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルは、当時最も人気のあったカルチュラル・スタディーズ系の評論雑誌の一つ『ソーシャル・テキスト』(Social Text)に、『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)と題した疑似論文を投稿した。この疑似論文は、ポストモダンの哲学者や社会学者達の言葉を引用してその内容を賞賛しつつ、それらと数学や理論物理学を関係付けたものを装っていたが、実際は意図的にでたらめを並べただけの意味の無いものであった。ソーカルの投稿の意図は、この疑似論文がポストモダン派の研究者によってでたらめであることを見抜かれるかどうかを試すことにあった。疑似論文は1995年に受諾され、1996年にソーシャル・テキスト誌にそのまま、しかもポストモダン哲学批判への反論という形で掲載された[2]。当時同誌は査読制度を採っておらずこうした失態を招き、編集者は後にこの件によりイグノーベル賞を受賞している。また後に査読制度を取り入れた。

「疑似論文」に用いた数学らしき記号の羅列は、数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者ならいいかげんであることがすぐに見抜けるお粗末なものだったが、それらは著名な思想家たちが著作として発表しているものをそっくりそのまま引用したものだった。この「疑似論文」は放射性物質のラドンと数学者のヨハン・ラドン(Johann Radon)を混用するなど、少し調べると嘘であることがすぐ分かるフィクションで構成されている。