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塩田剛三(しおだ ごうぞう、1915年9月9日 - 1994年7月17日)は、東京府四谷区(現・東京都新宿区四谷)出身の武道(合気道)家である。身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格ながら「不世出の達人」と高く評価され、「現代に生きる達人」とも謳われた。
エピソード
* 極真空手の創始者大山倍達、柔道家の木村政彦は拓殖大学の後輩に当たる。後に大山は、澤井健一を連れて養神館本部道場を訪れ稽古を見学している。
* 時折、超人的としか表現のしようがない塩田の演武について「あんな事が出来るはずがない。ヤラセではないか。」と非難する意見が上がる。しかし、実際に塩田と手を合わせた者からは、その技に対する否定的な意見は少ない。こうした非難に対しては、「合気道の演武と、他競技の試合との性格の違いを理解していないがための誤解である」とする反論もある。
* ロバート・ケネディ夫妻の前での演武では、塩田の強さを疑ったケネディの申し出によって同行していたボディーガードと手合せを行い、これを圧倒している(この時の様子は映像にも記録されている)。ケネディは後年、この時の様子について、「私のボディーガードがその小柄な先生に立ち向かっていったところ、まるで蜘蛛がピンで張り付けられたように、苦もなく取り押さえられた。その後でボディーガードは『今朝は食事をしてこなかったものですから』と言ってはいたが、食事をしてきたら勝てたとは言わなかった」と回顧録「世界訪問旅行」に記している。
* 植芝の門下生になった後、塩田は反射神経を鍛えるため、水槽の中を泳ぐ金魚の動きに合わせて左右に動くという訓練を8年間に渡って続けていた。その結果、塩田は超人的な反射神経と集中力を体得、視界から一瞬で消えるとまで評された体捌きを完成させたという。この神がかりとさえいえる反射神経にまつわる逸話は多く、特に自動車にはねられそうになった瞬間無傷でかわしてのけたという証言が数多く残っている。
* ある時、弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれ、塩田は「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えたという。塩田自身は『日常、それ即ち武道』を信条としており、普段普通に道を歩いている時でも一切の隙が無かったと言われているが、生前弟子に対して「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。そういう人間は自分が最後でいい。これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」と語り、護身術としての武道の意義を説いていた。
* 漫画『グラップラー刃牙』に登場する柔術家・渋川剛気の原型となった人物としても知られる。これは作者の板垣恵介が、塩田の内弟子であった三枝誠の自衛隊時代の友人であった縁から、生前の塩田と親交があったことに由来している。またその縁から板垣は塩田の自伝「合気道人生」において挿絵を担当している。(本名の板垣博之名義)
* 板垣は、自身の著書で塩田の人となりについて、「才気のカタマリ」「爆笑した顔に狂気を感じた」「体中が地雷原のような人」と評している。また、板垣がある中国拳法家と立ち合って惨敗した際、塩田に「その程度で済んで運がよかったと思え。二度と遊び半分の軽い気持ちで立ち合いに臨むな」と苦言を呈されたという。この言葉について板垣は「俺のところに道場破りに来たらその程度じゃ済まさないぞ、ということなのだろう」と語っていた。
ウィキペディア(Wikipedia)

合気道の神様かと。
故・塩田剛三による合気道の指導風景。
超偉人伝説 神様と呼ばれた男 合気道塩田剛三伝(1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=7LZQfTSN8yQ
超偉人伝説 神様と呼ばれた男 合気道塩田剛三伝(2/2)
http://www.youtube.com/watch?v=haN1jQumCLM
塩田剛三の神技
http://www.youtube.com/watch?v=7DiNQgAbH0Y