新年あけましておめでとうございます。
今年ものんびりブログ更新してまいりますので、よろしくお願いします。
・・・新年早々衝撃のニュースが飛び込んできました。
2018年1月4日、星野仙一さんがすい臓がんで亡くなりました。
がんであることは一昨年に告知されたようですが、周囲には一切伝えなかったとのことです。
星野仙一といえばアンチ巨人の代名詞、そして監督として闘志むき出しで指揮を執ることで有名ですが、その真価は有能なコーチ、選手を引っ張ってこれる政治力でしょう。
星野仙一と私
ジャイアンツあるところに星野仙一あり、思い返せば私のプロ野球ファンとしての人生は星野仙一と共に歩んできたようなものでした。
1988年、中日ドラゴンズのユニフォームを着た星野仙一が胴上げされている写真の下敷きがなぜか家にありました。
それからプロ野球というものになぜか興味を持ち始めるのですが、星野という男を認識したのはこの時が初めてだったと思います。
1990年代には珍プレー好プレー大賞の常連で、みのもんたさんの「俺が星野だよ」のナレーションが様式美となっていました。
1997年、ナゴヤドーム完成の年、新球場に対応できなかったのか最下位に転落したドラゴンズのホーム最終戦、深々と頭を下げていた姿が印象に残っています。
1999年、ぶっちぎりの強さでドラゴンズを優勝させて、ジャイアンツファンの私は早々に戦意喪失した年でした。
2002年、縁もゆかりもない阪神タイガース監督就任に驚かされました。
2003年、タイガースは圧倒的な力でジャイアンツを粉砕、甲子園で帽子をたたきつける原辰徳の姿、そして電撃解任された原辰徳と抱擁する姿、忘れられません。
2005年、低迷するジャイアンツの新監督に星野仙一が浮上、堀内もたいがいだけど、こんな奴絶対に嫌だと思ったものです。
2008年、北京五輪であえなく敗北、バッシングの嵐に「日本はいじめ国家や!」と発言、当時は腹がたったけど、冷静に考えれば明らかに行き過ぎたバッシングでした。
2013年、楽天イーグルスの監督としてジャイアンツと対戦、7戦にも及ぶ死闘の果て、前日登板した田中将大を9回に送り、ついには自身初の日本一を勝ち取る。阿部慎之助曰く、打席に立っている時に楽天ベンチから星野の「(打者の近くに)行け~~~~!!!」という怒号が飛んできたとのこと。2013年はジャイアンツの方が若干有利と見ていましたが、星野の執念が楽天を日本一たらしめたのでしょう。
軽く振り返っていても、星野仙一はプロ野球に無くてはならない存在で、野球界を盛り上げてくれた大功労者といえましょう。
稀代の名将よ、やすらかに・・・
星野はドラゴンズはもとより、弱小だったタイガースとイーグルスを優勝させています。
これは凡将には決してマネできない芸当、本物の実力が無ければ絶対に出来ないことです。
3球団も優勝させる(うち2球団は弱い球団だった)という離れ業をやってのける監督は、私は星野仙一以外知りません。
まさに稀代の名将だったのでしょう。
野球界は本当に惜しい人材を失ったと思いますし、ジャイアンツファンの私も大変さびしく思います。
哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りします。