在宅医療の現場 | 生きているって素晴らしい

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~生と死と心のサポート とある僧侶のつぶやき~

おはようございます。

昨日から岡山に来ております。
駅のロータリーに、桃の木が植えてあり実がなってました。
さすが岡山!と思いました。

一昨日の6月1日に在宅医療のドクターに同行させていただきました。
その時の感想を、書かせていただきます。

病院の医療と、在宅の医療は色々と違うなと感じました。
今まで、病院の医師が「病」ではなく「生活」にも目を向けてほしいなと感じていたのですが・・
(もちろん、そこに目を向けていらっしゃる医師もいらっしゃると思います。)

今回同行させていただいて、それは難しいと思いました。

何故なら、病院は患者さんにとってはどうやってもアウェイだから。
そして、そこに生活に関する情報はないから。
となると、生活に目を向けるというのは、情報が少なすぎる。。

その一方で、在宅医療に関しては「生活」を見るために「病」を診る。
そんな感じを受けました。

ご自宅にいくので、そこにいるのはまさにホームで暮らしている「人」
もちろん、「患者」ではあるのですが、「人」です。
もっというなら、「○○さん」なのです。

6名のご自宅にお伺いさせていただいたのですが、もちろん場所も違います。
家の形も違います、庭も違います。
1人1人違うのです。
当たり前です。

病院にいたら、その「違い」は意識しないと気づけないのです。
在宅では、視覚的にその「違い」が感じられるのです。
視覚だけではないです。聴覚、嗅覚など本当に色々なことを感じられるのです。

だからこそ、その人らしい生活をするために「病」を診るのです。
決して、「治療」ありきではなく「生活」のためになのです。

同行させていただき、本当にそのことを強く感じました。


私がご法事でご自宅にお伺いさせていただくときに気を付けていることは、ご供養することが目的ではありません。
ご供養を通じて、故人と通じ合い、ご家族で色々とお話いただいたりして、生活をみること。みるというよりもサポートすることです。

今回在宅医療に同行させていただいて思ったのは。。
私は「宗教」という切り口で生活をサポートする。
在宅医療では、「医療」という切り口で生活をサポートする。

切り口が違うだけで、目的は同じだろうなと強く感じました。

でも、そこには現在大きな壁があります。
個人的には、協力体制を作ることが出来て、一緒にサポート出来たらもっとより良いサポートが出来るはずだと思っております。

沢山の気づきをいただきました。
というか、教えていただきました。

受け入れてくださった方々に感謝申し上げます。
これで終わりではなく、教わったことを無駄にしないようにします。

遠山玄秀