渡部昇一 1930年10月15日 ~ 2017年4月17日

 

 

 

歳時記 4月17日

清明/虹始見(せいめい/にじはじめてあらわる) 万物がすがすがしく明るく美しくなり、くっきりと映えた鮮やかな虹が見える季節を迎えた。

 

 

 

歳時記余話

 

1)プーチン大統領が語る「ロシアの大地」

日本列島は春の盛りだが、ロシアの大地はまだまだ寒い地域が多い。プーチン大統領が語る「ロシアの大地」とは、単なる地理的な境界線ではない。それは、キエフ大公国、ロシア帝国、ソビエト連邦、そして現代のロシアへと続く歴史そのものであり、たいへんな犠牲を伴いながら生き残ってきたロシア人そのものであり、信仰であり、涙であり、血であり、ロシア人全体が共有するロシアのアイデンティティである。ロシア人の精神の根底には、「聖なるロシア(スヴャタヤ・ルスィ)」という概念がある。これは、大地そのものが神の恩寵であり、ロシア民族はその大地を守る民族であるという感覚であり、信仰である。また「ロシアの大地」は単なる不動産でもなく、「母なる大地」という崇拝の対象である。農耕民族としての深い根、そして厳しい自然環境を生き抜いた忍耐が、この大地への愛着を「神聖な義務」へと昇華させたのだと考えられる。だから彼らにとって、キエフ大公国、ロシア帝国、ソビエト連邦、そして現代のロシアは、それぞれ断絶した別個の組織ではなく、同じ「ロシア的精神」を宿した器の変遷に過ぎない。先祖が流した血は大地に溶け込み、現在のロシア人を過去の英霊たちと結びつける。そういう「永遠の共同体」が「ロシアの大地」である。(アレクサンドル・ドゥーギン、ニコライ・ベルジャーエフ、神話「母なる大地(Mat' Syra Zemlya)」)

 

 

2)ソボルノスチ(全体性と絆)

ロシア的精神の核心には、西欧的な合理的個人主義とはまったく対照的な「ソボルノスチ(結合性・全体性)」という思想がある。ドストエフスキーやトルストイなどのロシアの文学が繰り返し描くのは、個人の幸福よりも、他者、ロシア人、ロシア、国家、あるいは神という「大きなもの」のために苦難を耐え忍ぶ姿だ。これが「犠牲や忍耐をいとわない国民性」の源泉であり、自己犠牲の美学となった。だから個人主義と自分の利益を目的とする西欧人に対し、ロシア人は「真実(プラウダ)」という、正義感に基づいた精神的真理を重んじる。彼らにとって、守るべきは民族の「魂の純粋さ」である。(アレクセイ・ホミャコーフ、フョードル・ドストエフスキー)

 

 

3)ロシア人の「聖なる文明空間」としての防衛本能

だからロシア人は、自国を単なる国ではなく、独自の「文明圏」、独自の「聖なる世界」であると認識している。第一のローマ(古代ローマ帝国)は滅び、第二のローマ(コンスタンティノープル)も陥落したが、第三のローマ(モスクワ)は立ち続ける」という中世以来の理念が、今もなお彼らの深層心理に「正統性の守護者」の自負として生き続けている。モンゴル、ナポレオン、ヒトラーという外部からの侵略に晒されてきた歴史が、彼らの「聖なる空間を守る」という防衛本能を極限まで高めた。彼らにとっての戦争や対立は、多くの場合において「世俗的な利益」のためではなく、「自分たちの文化・精神的聖域を守るための聖戦」として解釈されている。(フィロフェイの書簡1510年頃、サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』)

 

 

4)ロシアと日本、瓜二つの相似形

ロシア人にとっての「ロシア」とは、「歴史、宗教、大地が三位一体となった、精神的宇宙」である。彼らは数世紀前の出来事を、まるで昨日のことのように語る。歴史は知識ではなく、現在進行形の体験である。そして物質的な豊かさよりも、精神的な誇りや「ロシアとしての在り方」をたいせつにする。そのため、個人主義と利益ばかりを追求する西欧文明に同化せず、独自の道を歩むことへの大いなるプライドがある。どこかの国の戦前の姿と瓜二つではないか。自分の実利を目的とする西欧人に対し、ロシア人が『ロシア全体の真実(プラウダ)』を重んじるのは、日本の縄文以来の「全体の中でこそ個が活かされる『和』の精神」と深く響き合う。いや、それは戦前だけの話ではない。戦後も、松下幸之助、本田宗一郎、土光敏夫ら、戦前に生まれ育って、敗戦の瓦礫の中から再び日本を世界のトップにまで押し上げた日本人たちがまだ生き残っていた。戦後、マスコミや学界による『真実の歴史の全否定』という精神的な嵐に晒されながらも、彼らがみな亡くなっていく1980年代のバブル期まで、日本には「ロシアの大地」と同じように、生活実感としての八百万の神々と共に生きる『日本列島の大地』の記憶が息づいていた。(松下幸之助『実践経営哲学』等、カール・シュミット『大地と海』の対比)

 

 

5)私たちは何もしなくても、生きているだけで歴史の一部である

渡部昇一も、最大の国難とは日本人のアイデンティティーが失われてしまうことだと述べた。国が滅びるというのは、領土を失ったり、経済が破綻する以上に、「自分たちが何者であるかを忘れることだ」と述べている。戦後の日本人が「自分たちの歴史は悪だった」と信じ込まされることを、最も強く危惧していた。歴史という記憶を失った民族は、根を抜かれた樹木のように枯れてしまうからだ。松尾芭蕉は、変化を知らなければ新たな発展がないが、不変の真理を知らなければ基礎すら確立できないと言った(不易流行)。渡部は、日本の歴史は「外来の優れたもの(仏教、儒教、西洋科学)を吸収しながらも、決して自らの核(不変の真理)を捨てないプロセスである」と見なした。日本は、古いものを壊して新しいものを入れるのではなく、古代から続く日本の魂と精神を守りながら、その上に新しいものを吸収して、さらに日本人の魂と精神を強く大きく育ててきた。この力が日本の品性であり、パワーの源泉である。伝統とは、博物館に飾られた死んだ遺物ではなく、常に新しい知見を取り入れ、進化し続ける「生きた力」である。この1980年代のバブル以降、完全に滅んでしまったかに見える日本の伝統的な「家族」、「ご町内」、「助け合いの精神」、「信頼関係」、「団結心」、「誠」、「忠誠心」、「親孝行」、「武士道」、「日本人の強さ」、「日本列島の神々」、「日本人のアイデンティティ」も、じつは滅びたのではなく、水面下で進化し続けていると感じる。渡部は、歴史を語る『言葉』の中に先祖の魂が宿っていると考えた。私たちはその魂が宿る日本語を用いて日々の営みを続ける。日本語を用いて四季を愛でる。その『無意識の伝統』こそが、いかなるプロパガンダによっても破壊できない日本人の魂と精神の正体なのである。私たちは何もしなくても、生きているだけで、その強靭な歴史の一部である。(渡部昇一『国民の歴史』『ドイツ参謀本部』、松尾芭蕉『去来抄』、エドマンド・バーク「社会とは死者と生者とこれから生まれてくる者の契約である」)

 

 

 

 

人物の概要

 

ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)

1952年10月7日 ~ 現職 ロシア連邦の政治家。サンクトペテルブルク生まれ。KGB(国家保安委員会)諜報員を経て政治の世界へ入り、2000年に大統領就任。ソ連崩壊後の混乱にあったロシアに「強い国家」と「伝統的価値観」を取り戻し、広大な大地と歴史的連続性を重んじる「ユーラシア主義」的統治を推進する。彼にとってのロシアは、単なる国家を超えた「独自の文明空間」であり、その再興を使命としている。

 

 

渡部昇一(わたなべ しょういち)

1930年10月15日 ~ 2017年4月17日 日本の英語学者、評論家。山形県生まれ。上智大学名誉教授。専門の英語学のみならず、歴史、哲学、政治など幅広い分野で執筆活動を展開。『国民の歴史』などの著書を通じ、自虐史観を廃して「日本人のアイデンティティ」を回復することに尽力し続けた。伝統を「生きた力」と捉え、外来の知を吸収しつつも核を失わない日本精神の強靭さを論理的に構築した知の巨人。