この齢になると、何人の人の死を見てきたか分からない。
両親、祖父母を始めとする近い身内から、友人、知人迄。
特に、両親、祖父母は結婚する20歳迄、寝食を共にしたし、可愛いがられて、楽しい思い出しかなかった。
だから、寂しかったし、悲しかった。
友人や知人も、楽しい思い出しかなく、悲しみや寂しさは中々、消える事がなかった。
でも、雑多な日常生活を繰り返す中で、いつしか悲しみも寂しさも、和らいで来た様な気がする。
だから「死ぬ」と言う事に、余りにも鈍感だったのかも知れない。
夫が死ぬ。と言う事。
5月5日に救急搬送された時は、勿論死ぬとは思わなかった。
首に転移した癌が、猛烈な勢いで首から下の完全麻痺を引き起こし、絶食と相まって過酷な闘病となった。
衰弱して行く夫を見ながら、6月半ばには「夫はもう二度と我が家に帰って来ないんだ。もうすぐ死んでしまうんだ」と徐々に徐々に、覚悟は出て来た様な気がするけど。
夫が働いていた時は、出張もあったし、3カ月程、単身赴任して、家を留守にする事もあったが、必ず帰って来た。
定年後は、何度か入院して、いなかった事もあったけど、毎日面会して会えたし、退院して帰って来た。
夫が死ぬ、と言う事。
もう二度と、会う事が出来ない。
もう二度と、話す事が出来ない。
もう二度と、触れる事が出来ない。
抱きしめられる事も、愚痴を聞いてくれる事も、叱ってくれる事も、「愛してる」と言ってくれる事も、「お前はホンマにおもろいね」と大笑いしてくれる事も、もう二度と無い。
この世で、私を必要としてくれた唯一の人がいない。
夫が死ぬ、と言う事。
寂しいとか、悲しいとかじゃなく、このやり場のない感情は、私が死ぬ迄、きっと答えが出ないんだね。
お父さん。
私を置いて、勝手に死んだら駄目でしょ。
今度出会ったら、お仕置きよ。
覚悟しいや。