広島に原爆が投下されたあの日から81年。


1952年から毎年8月6日、広島原爆投下の日に行われている

「移動演劇桜隊平和祈念会」主催の

『移動演劇桜隊 原爆殉難者追悼会』

東京目黒の五百羅漢寺へ行ってきました。


僕の参加は今年で4年目。



「桜隊」は劇団「苦楽座」を前身に、戦争末期の1945年に結成。

上演の機会を求め、内閣情報局主導の「日本移動演劇連盟」の一員として、全国各地の病院や軍事施設を慰問していました。

中国地方での活動のために入った広島市の宿舎で、

団員9人

丸山定夫・園井恵子・仲みどり・高山象三・森下彰子・島木つや子・羽原京子・笠けい子、小室喜代

は8月6日を迎えました。



米軍が原子爆弾を投下した地点から、宿舎はわずか750メートルの距離にあったそうです。

5人が即死。残る4人も被爆の影響で、8月のうちに亡くなりました。



今日もまず法要。

参加者みなさんがお焼香。


そして追悼会。



第一部は、

原爆症による最初の死者となった仲みどりさんこと。広島の桜隊の宿舎で被爆。命からがら上り復旧列車1号で東京の実家に帰ったみどりさんは、無数の傷と激しいめまい、食欲不振や胸苦しさに悩まされ、16日に東京帝国大学附属病院に入院します。輸血などの手厚い看護を受けることができましたが、8月24日に急逝。死因は世界初の「原子爆弾症1号」となりました。


何回目かのこの追悼会に参加された秋津萩枝さんはこのことを知り、その時の事情があまり知られていないことに気づき、いろいろ調べられて「桜隊全滅」を書かれました。その秋津さんの寄稿文を秋津さんの曾孫で俳優である大塚愛が朗読されました。



第二部は、

桜隊の隊長であった丸山定夫のことを、丸山の出身が愛媛県松山市であることから、地元テレビ愛媛が昨年戦後80の特別番組として製作し、昨年8月6日に放送したものを会場で上映。


タイトルは

「『亡びるな 生きろ』俳優丸山定夫と桜隊の青春」


国策と表現のはざまで、命をかけて舞台に生きた丸山定夫の青春とその最期。

(今YouTubeでも観られます。)



第三部は、

トイ(おもちゃ)ピアニストの畑奉枝さんの演奏「平和への祈り」



この追悼会に毎年参加して思うことは、とにかく芝居がしたい、その一心で広島に行った桜隊メンバーの想い。

被爆しながらも生きて終戦の日を迎えた何人かは、これから大好きな演劇が思いっきり出来ると思いながら亡くなっていきました。



偶然にも彼らの生を受け継ぐかのように広島原爆投下の4日後にこの世に生を受けた僕。

81年が経過した今、あの時起こったことを更に学び、その歴史と若くして夢を絶たれた彼らの無念さを次の世代に伝えていかなければと、改めて強く思った2026年の8月6日の「追悼会」でした。