プロ野球より歴史の古い東京六大学野球。

今年で連盟結成から100年を迎えました。

その記念祝賀会に、連盟に所属する一つの大学の元野球部長として、出席してきました。



場所はパレスホテル東京。


(このブログを読む方には、東京六大学と言うと、競技ダンス学連の「東京六大学競技ダンス選手権大会」の方が馴染みがあるかもしれませんが、元々野球の「東京六大学」があったので、競技ダンス学連でも、「東京六大学」が出来たのだと思っていますが。1955年 第1回東京六大学舞踏選手権大会。1984年 東京六大学舞踏選手権大会から東京六大学競技ダンス選手権大会に改称。合っています?)


 

改めて、東京六大学野球連盟の歴史をウィキペデアより。


現存している大学野球リーグでは最も長い歴史がある。

1903年に開始された早稲田大学と慶應義塾大学の対抗戦を発祥とする。1906年、応援の過激化、その他軋轢などから早慶戦は中断されたが、

明治大学(1914年)、

法政大学(1917年)、

立教大学(1921年)、

東京帝国大学(現在の東京大学、1925年春)

が参加。

1925年秋季リーグから他校の説得により早慶戦が再開され、ここに東京六大学野球連盟として正式に発足した。

この1925年秋季リーグ戦の開幕試合は明治大学と立教大学の対戦であり、東京六大学の歴史は、この一戦から幕が開かれた。翌年の1926年10月には神宮球場が東京六大学野球連盟の協力の下で完成、実質的には連盟専用球場として運用されることになる。

プロ野球人気が高まりを見せるまで長く日本の野球人気の中心的存在であり、土日に神宮球場で開催されることもあって大学野球連盟の中では平均入場者数が最も多い。プロ・アマチュア球界へも多数の人材を送り出してきた。また、アマチュアのリーグでありながら、硬式野球を代表して天皇杯が下賜されている。



以上のように、各試合は元々は大学対抗戦の形を取っていたので、今でもその精神は引き継いでいます。

具体的には、優勝の決め方は勝ち点制度(先に2勝すると勝ち点1)。従って例えばA大学が他校全てと2勝1敗だと勝ち点5。勝率は10勝5敗で6割6分7厘。B大学はA大学には1勝2敗、他4校に2敗0敗だと勝ち点4。勝率は9勝2敗で8割1分1厘。勝ち点が多い大学が優勝となるので、勝率が上のB校ではなく、勝ち点の多いA校なのです。(勝ち点が同じ場合は、勝率が上のチームが優勝。)


大学対抗戦ということでもうひとつ。各大学の代表がベンチに入る。具体的には野球部長が常にベンチに入るルールです。

大学定年まで部長を務めた8年半は、僕の人生にとってハイライトのひとつでした。ベンチに入り、選手と心一つにして戦った、本当に一喜一憂の楽しい8年半でした。


そんな想いを持ちながらの記念祝賀会出席。

出席者総勢1000名くらい。


プログラムは、理事長挨拶、来賓挨拶、レジェンドインタビュー

などなど。

会場スクリーンに流された東京六大学の歴史を描いたDVDが素晴らしかった。これ、どこかのテレビで放映したらいいのに、と思いました。



歓談の時間には、懐かしい方々との再会を楽しめた素晴らしい祝賀会でした。




(早稲田大学現監督の小宮山監督と)


(慶應義塾大学OBでプロ野球でも活躍された山下大輔さんと)