気づいたら1か月前の話に
なってしまいましたね〜💦💦苦笑
ご興味のある方だけ続きをどうぞー✨
8/10裏摩周湖の神の子池から
オホーツク流氷館を訪れた後の話しです
網走監獄は絶対に外せない‼️
ということで行ってきました
私は杉本推し
主人は鶴見中尉推し
網走監獄編一段落後の二人は仲良し❓…![]()
*引用させて頂いています
右下の写真は脱獄王白鳥がまさに脱走していますね![]()
ご存知かもしれませんが💦
ゴールデンカムイの
白石由竹のモデルとなったのが
網走監獄を含めて4箇所の刑務所を
脱獄した「昭和の脱獄王」
白鳥由栄です
こちらの放射状舎の第4舎の
24房の視察口から実際に脱獄してます↓
後「破獄」の小説のモデルにもなりました
ゴールデンカムイ13巻〜14巻の網走監獄編は
のっぺらぼうから金塊の情報を聞き出すためと
アシリパの父親かどうかを確かめる
重要な場面になっています
第七師団は艦隊で
オホーツク海から網走川を遡上し
大砲で塀を破壊して侵入します
↑わざわざ塀も見に行きました
実物見れて
大満足‼️‼️‼️‼️
(主人と私だけかも
)
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…とゴールデンカムイに
突っ走りすぎました💧
クールダウンして
網走監獄に話しを戻します
時は江戸時代から
明治時代に移ったばかりの混乱期
各地で反乱が起こり、治安の乱れで
囚人が爆発的に増加しました
北海道は江戸時代に「エゾ」と呼ばれ
和人の定住が始まり
明治維新後は「北海道」と名を改め
新政府の『富国強兵』の名のもとに
諸外国への対抗と
国内の資源確保に
北海道開拓使による
開拓が進められましたが
非常に厳しい寒さと獣に襲われる危険で
難航していました
そこで目を付けたのが
収監に溢れた囚人たちでした
明治14年監獄則を改正し
北海道に集治監を設置、
囚人を北海道開拓に
使役させることを決めたのです
網走監獄120年の幕開けです
(明治14年:月形町に樺戸集治監、
明治15年:三笠市に空知集治監、
明治18:標茶町に釧路集治監、
明治23年:網走囚徒外役所)
この当時の様子をよくあらわしているのが
網走監獄博物館内の監獄歴史館です
囚人は逃げられないように
鎖のつけられた状態で
厳しい大自然の中で
栄養失調、病気、けがに苦しみながら
過酷な開拓労働に従事させられました
時間と費用の節約で
作業場には簡易仮設小屋(休泊所)が作られ
(タコ部屋という言葉の語源はここから)
「移動する監獄」所以たる
閉鎖的で徹底的した開拓作業従事により
中央道路の網走から
北見峠を結ぶ160kmの距離を
明治24年4月から11月までの
8ヶ月という短期間で
開削したのです
しかしこの作業に投入された
1000人以上の受刑者のうち
(看守も含めて)200人以上の
犠牲者が出ることとなりました
*なぜこれほどまでに工事が
急いで行われたかといいますと
やはりロシアの脅威に屯田兵を送り
一刻も早く備える必要があったようです
実は北海道での囚人労働は、
炭鉱や硫黄採取などでも行われ、
そのたび多くの犠牲者が出ました
「囚人は果たして
二重の刑罰を科されるべきか」と
議論になり
明治27年ついに制度は廃止されましたが
この博物館の歴史を通して
北海道の発展、歴史に
多くの囚人の犠牲があったことを
忘れてはならないと強く実感しました
*「オホーツクの道」からの引用になります
網走監獄博物館は
他にも見所がたくさん‼️↓
*網走監獄博物館のパンフレットから
引用させていただいています
おまけ
後ろ髪を引かれつつ
時間の関係上、1時間半の見学で
層雲峡めがけて国道39号線を走りました
ゴールデンカムイ的には
金塊の在処を知る
のっぺら坊に会いに行くために
旭川から北見、網走監獄に向かって
移動したのを逆に行く形です![]()
北見から層雲峡に向かう途中には
石北峠(せきほくとうげ)があります
石北峠の名前の由来は昔の
石狩国と北見国の頭文字からとったそうで
上川町(大雪山や層雲峡方面)と
北見市(オホーツク方面)の境にあり
ちょうど東西に分ける
標高1050mの峠です❣️
ここでちょっとこぼれ話↑
ちょうど我が家が通過した
国道39号線の少し上に
ほぼ平行して走っている
北見峠を通る333号線があります
実はこちらが先程述べた
道央からオホーツクに抜ける
網走監獄の囚人たちが
開削した道路になります
明治24年に開通し、
もともとはこちら(北見峠を通る方)が
国道39号でしたが
昭和32年石北峠が開通したことで
時間が短縮されたため
(石北峠を通る方)が39号線となり
メインの道路として
利用されるようになりました
そして月日は流れ
北見峠を通る道は
昭和50年再び国道として昇格し、
現在333号線と名前を変えています
333号線の途中には
囚人の慰霊碑の鎖塚が残っています
ここで北海道の地理について
(間違えてたらすみません💦)
写真を見て下さい↓
北海道を東西に分断する
上から北見山地、
石狩山地、日高山脈があります
その中央部大雪山の近くに丁度
ベンツマークのように3画に分断する
臍がありますね
これが大分水嶺であり
水が三方に分かれていきます
西は日本海側へ(石狩川と石狩平野が広がる)
東北はオホーツク海へ(常呂川や網走川など)
南東は太平洋へ(十勝川と十勝平野)
これらを鑑みて、
この縦列する山地や山脈を越えるのは
並大抵のことではなかったのでは
と推察します💦💦
当時の苦労になんとなく
思いを馳せてしまうのでした
さて層雲峡近くに来たところで左手に
大雪山の中でも1番高い旭岳が見えました
この日は層雲峡でお泊りです![]()
ちなみに写真は2つを
参照させてもらっています‼️
とってもオススメ✨






















