塾講師は前にも述べたように入社試験さえパスすれば次の日から誰でも名乗れる職業です。
なるのは容易い分生き残るのが難しい仕事とだと私はおもいます。誰でもなれるからこそ個性的な人がかなりの数入ってきます。これはこれで面白キャラと出会えて飽きない。
私の出会った面白とんでも講師を紹介します。


私がまだ25~6だった頃のある日、店舗の責任者に呼び出されました。
本部がすごい人材をとってきたから年上でやりにくいかもしれないけど面倒見てやって。と教育係を仰せつかり、履歴書のコピーを渡されました。人事が採用面接の際に書いたと思われる走り書きに「人当たり◯、金融業界に嫌気」と書いてありました。
 
学歴は灘中、灘高校卒業、東京大学法学部卒
卒業後はメガバンクに就職。入社3年で経営企画室に異動し5年目で室長代理に昇進するも退職し、渡米。メリルリンチに就職しファンドマネージャーとして5年ほど働き、帰国。帰国後は二年間母の療養をしながらの無職。このハイスペックモンスターは非正規講師職に応募してきたようです。35歳ぐらいの人でした。
二年間無職のあたりでひょっとしたら心の病気だった人なのかもなーと思いました。
16時になると彼が出勤してきました。初っぱなの挨拶で度肝を抜かれました。
「こんにちは。◯◯と言います。しばらくは先生の担当になるので、わからないことは私に聞いてください」と声をかけると
「あ、そう。で、僕はどこの席を使えばいいの?」というお返事。10歳以上年下だから相手にされないのかな。それともコミュ障のタイプの人かもと思い、イラッとした気持ちを我慢して、席に案内しました。
この時点で心のなかで「おい人事、どこが人当たり◯なんじゃい。仕事しろー」と叫んでいました。
「で、私の持つクラスは?」と言ってきたのでさすがにカチンときました。ただ、まぁ年上だしなと我慢しつつ、店舗責任者にこの先生のクラスを確認し、伝えてあげました。
すると「で、どういうクラスなの?引き継ぎは?」とカチンパート3の段階で我慢の限界を越えたので、店舗責任者に「なんかこの人引き継ぎがどうのこうの言ってますよ。お願いします。」と伝えて、私は自分の仕事に戻りました。しばらくは店舗責任者と引き継ぎをしていたらしく話していたようですが、話が終わると彼は私の席にやってきました。
「君は僕の履歴書は読んだの?」と聞いてきたのでイライラを我慢して「ええ、あなたの教育係なので見てますよ。」と返事をすると
「君は新卒からこの会社?」となにか言いたげに質問をしてきます。この時点で、すでに私はこの人ムリ状態に陥っていたので「ごめんなさい、私は私の授業もあるのでちょっと話をする時間ないんですよ。すいませんね。」と会話を打ちきりその場を去って早めに教室に入りました。

授業が始まってしばらくすると教室の外がなにやら騒がしい、問題演習を生徒にさせている間に様子を見ると、事務と店舗責任者がなにやら話しています。 どうしたんですかと尋ねると「◯◯先生(さっきのハイスペック)が授業が始まっているのにいないんだ!」と店舗責任者が泡を食っています。携帯電話で何度も電話している様子から、連絡もつかないようです。
すると授業開始から数えて30分後ぐらいにハイスペック君は外から帰ってきました。
店舗責任者が「どこにいってたの?」と聞くと
「ああ、ちょっと食事にでてました。」とキョトン顔で答えます。店舗責任者もキョトン顔になっています。
「授業の開始時間は伝えたよな!」と店舗責任者が怒りモードに突入。「今日は開始時刻に貴方がいなかったので、たまたま授業の準備にきていた他の先生に授業をお願いしたのでかえっていいですよ。後、あなたの勤務時間は六時間未満です。休憩はとれねーから。出勤したら終わるまで外出とかできないから。」と半ギレで伝えると
「ああ、今日から授業するんですか、今日は引き継ぎだけかと思ってました。授業するとは聞いてなかったなー」とハイスペック君の弁明。
「今日はもう、あなたの授業はなくなったからご帰宅ください。」と言い捨てて店舗責任者は授業に戻り、私も授業に戻りました。この間10分ぐらいでしたが、濃密な10分でした。

このときは、ちょっと態度は悪いけど、不幸な連携ミスが重なったのかもなー、だったらちょっとかわいそうだなーと思っていたのですが。

ハイスペック君が入社して三週間が経ちました。いくらハイスペックでも教壇にいたことがあるわけではないので、新人です。新人の先生は子供にも見透かされ、厳しい目で授業を見られることがあります。そうすると「あの先生わかりづらい」となり、保護者からクレームが入るようになります。  
時期的に保護者会の時期です。店舗責任者は保護者会にハイスペック君を引っ張り出すことにしました。保護者会で顔を売ると少々授業が下手でも保護者から好意を持たれることがあります。それに賭けたんでしょうか。
この二週間、私に対する態度は相変わらずですが、店舗責任者への態度は人当たりのよさが光っています。
保護者会ではハイスペック君は緊張しまくりでガチガチでした。さすがに上から目線発言はしてなかったようですが、あんまり保護者から好意的に受け入れられてはいないようでした。

次の日、私の担当クラスの生徒のお父様から電話がありました。内容は「今度、新しく来た◯◯先生は昔、会社にいた◯◯だと思う。下の名前を教えてくれ」というものでした。
「下の名前は△△さんですよ」と教えると「やっぱり」という反応。このお父さんは工事用重機のレンタル業を営んでいる社長さんでした。
「え、お父さんは社長になる前は金融関係の仕事してたんですか?」と思わず聞いてしまいました。「いや、俺は独立する前は同業の会社で働いてたよ。俺、重機一筋。」のような返答をもらいました。「とにかく、そいつは昔、俺の会社で注文受けてないのに注文があったような報告をしてそのまま連絡とれなくなった奴だから気をつけて。」という話。


同姓同名?他人のそら似?といろいろ思いましたが店舗責任者に報告をあげました。店舗責任者が本部に問い合わせると卒業証明書の提出がないがまだないので催促しようと思っていたところだったとのこと。

店舗責任者がハイスペック君に確認すると、明日持ってこられるとのことだったので、とりあえず卒業証明書をもらってから後のことは確認しようと店舗責任者は思ったらしいです。



そして翌日、ハイスペック君は塾に現れず。連絡もつかず音信不通に。翌々日も連絡がつかなかったため、本部に連絡。本部からも連絡をしてみるも連絡がつかず。現場としてはそういう人間に関わっている時間はないので人事に任せて、彼の授業の穴埋めに着手。それから1ヶ月後に人事から店舗責任者に連絡があり、自宅に訪問するも誰も出てこず。母と二人暮らしのはずなのに人の気配がしない。管理会社に事情を話し、鍵を開けてもらうも夜逃げ状態で荷物はそのまま。というかほとんどそこで生活をした気配がなく、段ボールに荷物が入ったまま。引っ越してきてそのままという感じだったそう。

念のためメリルリンチにも事情を話して問い合わせたそうです。在籍確認の電話については詳細は答えられないが、該当する人物が入社在籍していた形跡はないという回答だったらしい。   
彼が今どこで何をやっているのかはわかりません。最近は採用のセキュリティも厳しくなっているのでこういうことは起こらないようですが、20年前は普通にあり得ました。

非正規講師職は入社後に卒業証明書や誓約書を提出するのが通例でした。今みたいに住民票などで住所の証明を求めることもありませんでした。古きよき時代だったのかもしれません。