こんにちわ~
いきなりですが、今日はこの言葉↓
人間が賢いかどうかは、その経験のいかんによるものではない。
その経験をいかに生かすかによるものである。
ジョージ・バーナード・ショー
イギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家で、イギリス近代演劇の確立者として有名だそうです。
ジョージ・バーナード・ショー・・・俺の知り合いの名前が二人分も入っているあたりがいいですねw
この人の言葉は今後も出てくると思います。
しかし、ほんとにおっしゃるとおりですね。
自分の経験を自慢のタネ・履歴書に書くためなんかに使うのもある意味経験をその目的にいかしていると言えるけど、やっぱりそんな低い所に経験の目的を置くのはしょぼい。
たくさんものすごい経験をしてても、それが単なる経験として、過去のものとして留まってる人がいる。
逆に、平凡と思われる経験をしてても、そこから教訓を見出して、今と未来に生かす人がいる。
経験はぶら下げて鑑賞するものじゃない。
だから履歴書を見る人事の方も、面接者がどんな経験をしたかだけ見ないで、その人がそれをどう使っていこうとしてるのか、そーゆーとこ見て欲しいね。
もちろん、そーゆー人もちゃんといると信じてますけどね。
明日からまた学校が始まりますね~
この一週間、ピカソに関する本を読みあさってます。
今3冊目。
もともと月曜のスペイン美術史のレポートのために読み始めたんだけど、非常に面白い。
彼はグロテスクとも言えるような絵も描きますが、色々想像するのが面白い。
例えば、ピカソが描く人物は、横を向いているのに目が二つ書かれてることが多い。
顔の形が変形して向こう側にある目が描かれる。
これは、自分の視点から見えているもの意外も描いているという点では現実に則していないと言える。
だけど、その視点から反対側の目が見えないとしても、反対側の目って言うのは実際に存在しているわけですよね。
見えはしないけど実際に存在しているものを描いていると言う点では、彼はより現実的な絵を描いているとも言えますよね。
ピカソと言えば「ゲルニカ」ですけど、「泣く女」っていう絵もすっごいですよ。
この作品は、ゲルニカの習作を描いている過程で原形が作り上げられてきたみたいです。
まつ毛が目の横についてたり、ものすごいデフォルメがなされてるんだけど、本物の泣き顔以上の何かが押し迫ってくる感じ。
これも、さっき言った様な「目には見えないけど現実に存在している」感情っていうのがえぐり出されてるんじゃないかなって思わされます。
顔色が黄色や緑で描かれてるんだけど、その点に関しては俺が小学校2年生の時に書いた自画像とそっくりですw
今思い出してもかなり迫力のある絵でした。
ピカソは女性関係かなーり複雑だったみたいで、そのときの精神の安定・不安定で女性の絵の雰囲気がガラリと変わるみたいなんです。
俺がその自画像描いた時期っていうのも、なんか落ち着きもなく(今もだけどw)、けっこう手がかかった(今もだけど・・・)時期みたいなんですよね~
絵って本当に書いた人の心が出てしまうものなのかも知れないですね。
無理やり今日の言葉とこじつければ、その人の経験が絵に生かされてるって感じですかね。
いや、ほんと無理やり・・・ごめん。
まあ素人の見解を恥じることなく述べてみました。
レポートは「美術史的な視点」で書かなければいけないみたいなんで、もうちょっとつっこんでみようと思ってます。
美術館とか全然興味ない人でしたが、今はちょっと魅かれるものがあります。
あ、あとチェ・ゲバラも見に行きたい!
ではでは(・ω・)/