赤松利市さんの「らんちう」(双葉社)

 

  千葉県房総半島南部、しかし東京湾に面しているという、リゾート地としては、かなり難ありの土地に建つ観光旅館、望海楼の総支配人特別室。元従業員の石和田は主犯として被害者を絞め殺したばかり。凶器の紐をすて、何人もの従犯たちが見守るなか、警察に電話して旅館内で殺人事件が起きたことを通報します。

 絞殺されたのは、望海楼の事実上の支配者、総支配人の夷隅登。従業者のほぼ全員から嫌われていた男。だらしない肥満体、中年になっても実母を「おかあちゃま」と呼ぶマザコン、初対面の人とは口もきけない人見知りなのに組織内の下の人間相手にはパワハラの限りをつくす究極内弁慶。もともと、旅館経営には、しろうと同然なのに、誰の意見も聞かない独断専行ぶり。中堅だけど手堅い業績で知られた製鉄会社の社長の次男で、どこかの大学を卒業後は父親の会社で働いていました。そんなところに、望海楼がリゾート離れと得意客の高齢化などによって、経営が悪化。大女将が引退。東京で働いていた大女将と初代支配人夫婦の娘である純子が、旅館の後を継ぐために帰郷。純子は30代になったばかりですが、女子大生といっても通用するような清楚な美人。夷隅登は旅館の立て直しに資金を援助するかわり、純子と自分が結婚すること、自分が総支配人として経営に加わること、ふたつの見返りを求めます。とても似合いとは言えない登と純子のカップルに、いたたまれない思いの従業員たち。しかも、結婚するや純子を宿の経営陣から追い出し、宿からも遠ざけ、自分は特別室を支配人室にして連泊。フロント女子社員で結婚間際の恵美にはセクハラ寸前のふるまいを繰り返します。

  さらに、リストラを大断行。高給取りの管理職、石和田やその恋人の恵子、板長の高梨、開業時からの役員である外間は全員、解雇されました。後期高齢者で認知症の実父を抱える恵子は老父と無理心中。石和田は自分が解雇されたことよりも、恋人を死に追い込まれたことで、登への深い恨みを抱いて職場を去ります。板長がいなくなった穴うめとして、調理場にはセントラル・キッチンが導入され、料理は半完成品をひたすらレンチン。海辺に建ち漁港にも近いのに、地魚を使った海鮮料理が夕食に供されないリゾート旅館からは、昔からの顧客は遠のくばかり。純子がフロントに出なくなったので、担当の恵美としては従業員を増やして欲しいところでしたが、登は逆にチェックイン要員のアルバイトたちをやめさせ、恵美は3人でやっていた仕事を押し付けられます。さすがに無理があったため、今度はビジネスホテル専用の無人フロント機器が導入されます。美人の純子目当ての客たちは、ごっそりと姿をけします。

  登の方針の中で従業員たちの不評をあびなかったのは、ふたつのみ。勤務体制と職務の見直し。固定給で月給20万円の正社員から契約社員に変われば、シフト勤務になる上、勤務時間は増えるものの、月給が30万円になるのでした。10万円の差は魅力的で、唯一の大卒の総務・経理担当の石井以外、全員が契約社員に変わります。もうひとつ好評だったのは、休日にではありますが、カリスマ知識人の自己啓発セミナーを無料で受けるよう強制されたこと。

  ただセミナーのオマケとして登が押しつける海浜清掃と告解集会は大不評。告解とは実は個人の自己卑下とそれに対する登の個人攻撃とイジメ。そして、まさに、登殺しの前日、清掃で疲労しきった純子が、告解集会で登の標的にされ、過酷な精神的イジメに意識をなくした純子をみて、同席した従業員たちは怒りが抑えきれなくなり・・・・・

  と事情をきいていた刑事たちは疑問をおぼえます。たしかに、従業員たちは大きな反感と不満を登に持っていたようす。しかし、そのレベルの悪感情で、「殺意」が生まれるかどうか。男、しかも「目上の人間」を皆で協力して殺す、という重犯罪の動機としては、だれの反感、不満、憎悪さえ軽すぎるのではないか。そのレベルの悪感情で、仮にも人ひとりを殺すだろうか・・・・・・

 

 

 殺人事件後1秒未満のシーンから、「実況中継状態」で語られていくミステリー。

 直接、手をくだした主犯も、勢いに乗ったものの終わってみれば「自分が人を殺した」というまぎれもない事実に動揺している従犯たちも、みな正体は明らかな「ステージ」状況です。

  にもかかわらず、この作品は見事に技が決まった「フーダニット」のミステリーなのです。

 

 視点を替えて語られる過去のエピソード。明らかになっていく被害者の人物像。そして、重要な殺人の動機。奇妙なことに、語ればかたるほどに動機が明らかにされていく・・・・・ように見えて、混迷深まるばかりの「動機」。どんどん、真相から遠ざかっていってるのではないか、と感じられてくるのです。

  関係者全員の「動機」が皆の知るところになっていくのですが、一方で大きくなっていく疑問点。

  「それくらいの動機で、人を殺すものだろうか」

 

  昨今のミステリーで、苦言が寄せられること多々な、「同期の軽さ」。

  この作品は、その点を逆手にとって、実に優良な「フーダニット」「ホワイダニット」の両面を持つミステリーとして決めています。

 

  そして「人間の先入観」の恐ろしさ。

  どう考えても「悪手」と結論せざるをえなかったアレやコレが、軽く裏返して再考してみたら・・・・・・過去を振り返っても、「歴史」を表記し、歴史的意義を見つけようとする場合、人間は実に容易に「この手」に騙されます。

 

  このミステリーは、人間の「ミステリー力」の錯誤、弱点をうまく突いたミステリー。たぶん、今まで、同趣向のミステり-は1作しか書かれていないと思います。その1作は、すくなくとも1970年代以前に書かれた作品で、赤川次郎さんの「死者の学園祭」と同時に、横浜の有隣堂で購入した記憶があります。作者もタイトルも覚えていません。アメリカの大学の教員、職員たちの間でおこった殺人を描いたもので、森博嗣さんの「S&M」シリーズを、果てしなくダメにしたような作品で、今回取り上げた工夫も必然性なし、二度と復刊されないとおもいますし、読み返したくもありません。

 

  赤松利市さんは、なんと還暦前後でデビューなさった作家さん。デビュー作の「藻屑蟹」は短編なので、やっと刊行されたようす。「らんちう」より秀作という人も多い2作め「鯖」は紀伊国屋書店系列店の店頭からは、ついに消えました。高評判で在庫僅少のところ、第4作「ボダ子」が刊行されたため、つられて一気に売れたのでは、と思います。

 

 社会派、本格にかかわらず「ミステリー好き」な方なら、お楽しみいただけるのでは、と思います。

 

 意外にも賢いひと。意外にも愚かなひと。それもラストで判明しますが、この人たちの今後は? 気になるのは、そこのところ。