平山瑞穂さんの「遠い夏、ぼくらは見ていた」(幻冬舎文庫)

 

  高校卒業後、浜松から上京して一流大学、一流企業へと順調に進んできた疋田利幸、27歳。淡泊というより諦めが早い性格のためか、高スペックにもかかわらず、まだ独身。それでも、他業種女子たちと合コンするや真名美という派遣社員と初デートの約束を取り付けることに成功します。気分の良いところへ、突然の連絡が。15年前、つまり小学校6年生のときに、利幸は少人数のサマーキャンプに参加しました。その時の主催者が、あるダイエット法を生み出し、カリスマ的な魅力で主に家庭の主婦たちから絶大な人気を得ていた大富豪、山浦至境。当時、すでに老境に差し掛かっていた山浦が、数か月前に亡くなっていたというのです。そのおり遺した遺言によると、山浦は邸宅や別荘や持ちビルなどの不動産を唯一の血縁者である甥に遺し、他の資産の相続人に関しては、担当弁護士である若い女性、相生真琴の立ち合いのもとで、別途決定したいとのことでした。

  31億円にものぼる巨額の遺産相続人の候補者は5人の27歳の男女。15年前のサマーキャンプに参加したメンバーたちでした。順調満帆なのに何かが満たされない疋田利幸。15年前から不良で、今は暴力団傘下のクラブの店長として時に法に触れる「黒い仕事」にも手を付けているのに、10代で結婚して子どもまでおり、金が常に不足している鷲尾樹。高校に入るまで並外れて肥満して、不器量だったため、義務教育時代にはよい記憶がない、特にサマーキャンプは黒歴史になっている富裕家庭の娘、大貫智沙。彼女は、ハイティーンで劇的にやせ、有名ではないものの、モデル、タレントとしてやってきたのですが、今ではほとんど仕事の依頼がありません。他校にも知られるほどの美少女で、勉強もスポーツも高成績だった江見今日子。優秀で眉目秀麗な兄に対してブラコン気味だった彼女は、東京の大学に入学した時点で自分が「絶世の美少女」などではなく「ちょっときれいな感じの女の子」レベルだということを悟っています。そして、どこに行ってもすぐにムードメイカーになる金谷和彦。しかし、実家の酒屋の店員となった彼を待っていたのは、明るい未来ではありませんでした。店主である父がコンビニチェーンへ参入することを頑固に拒絶した結果、店の顧客は激減。不遇のうちに両親は亡くなり、結局、店もつぶれて、和彦はガレージと雨戸を閉ざした家に引きこもり、精神を病んで、生ける屍状態。以上、5人が15年前キャンプに参加したメンバー。そこで、疋田利幸は違和感を覚えます。たしか「もうひとり、参加していた少年」がいたはず。

 故・山浦士至境の遺言執行人、相生真琴は、リストアップされた「5人すべて」が遺産相続人ではなく、遺産をゆずりうける権利をもつのは、このうち、ただ1人であると告げます。その「権利者」が、サマーキャンプで行った「行動」が山浦の心を感動させ、その結果がこの遺言につながったのだということ。その「行動」を行なったのが誰か、確定させるために5人の候補者には、サマーキャンプに関する記憶をできるかぎり詳細、正確に思い出してほしいとのこと。そして、思い出したことを「手記」として書いたうえで相生に提出してほしい、とのことでしたが・・・・・・

 

 

  ミステリーには時系列的にもさまざまなパターンがあり、発生したばかりの事件を調査、推理するものばかりではありません。中でも多いのは、10年以上前に起こった事件について再考しなおすもの。わたしは「象は忘れない」ものと、勝手に呼んでいますが、この言葉はもちろん、アガサ・クリスティの傑作過去発掘ミステリー「象は忘れない」のタイトルから。クリスティは、このパターンも何作か書いており、なかでも秀逸なのは「五匹の子豚」であるということは、多数の賛同を得られるのではないでしょうか。佳品ゆえにファンの多い「ゼロ時間へ」は、実は・・・・・・でしたので。「無実はさいなむ」ははるか昔の事件ではなく、数年前の事件の再考証でした。宮部みゆきさんの「長い長い殺人」は初期の傑作だと思いますが、やはり、あの証人のエピソードに関しては、「無実はさいなむ」の基盤となる設定とそっくりであるということは、指摘しておくべきかと思います。「パクリ」とみなされても反論できないほど、シチュエーションも事件への影響も似ていますので。

 

  平山瑞穂さんが「ミステリーを書こう」と明確な意思のもとに書かれた最初の作品というふれこみがされています。

  明らかに「フーダニット」のミステリーですが、大富豪山浦ほどの男の心にさえ強い印象を残すようなこととは何だったのか。つまり「何をやったのか」という謎も強く「ホワットダニット」であるともいえます。真相は、かなり意外なものなのですが、クイーンあたり、夏樹静子さんあたりを読み慣れているような読者さんのなかには、半分も読まないうちに「フー」も「ホワット」も、さらに秘められた企みも「まるわかり」という方が少なからずいらっしゃるのではないか、と思います。

 

  大きく思わされていた「ミステリー」の規模が、実はこじんまりとしていた、という点に、私は一番、驚かされました。

  読んでいて苦痛だったのが、かなりのページを残した状態で、真相が明かされてしまうということ。残りの部分は、過去と現在の人間ドラマとしての興味をもって読め、ということなのでしょうが、残念ながら、そこまで引き込まれるほど登場人物に牽引力がありません。たとえば、中島らもさんの「ガダラの豚」は文庫で3冊の大長編ですが、2冊目の最後で真相解明という「暴挙」としかいえない構成。こんな「オオバカ技」をやってしまうのは、中島さんの他にはいないと思います。最後の1冊は、まるごと「真相がわかった事件を収束させる」ただそれだけの内容なのですが、ついつい読んでしまうし、半分も読むとあとは「喜んで読ませていただきます」状態で、飽きるヒマなどカケラもないほどのスピードで読了してしまいます。それほど、ヒーローの大生部教授にはいつのまにか入れ込んでしまってるし、対するケニア奥地で自在に呪術をあやつるバキリは、ひたすら怖い。怖い以外の性格付けがされていないといっても過言ではないのに、キャラが薄っぺらじゃないのが、また怖い。いきなり、バキリさんに対決するのは不安、という方は有栖川有栖さんの「ミステリ国の人々」のご一読を。名作多々の主役にならんで、バキリさんも紹介されています。紹介せずに無視したら、呪われそうだからだとおもいます。

  対するに「遠い夏、ぼくらは見ていた」のなかには、残りの100ページを読み通させるだけの力をもったキャラがいないんですね。

 

  あと、「不良が成長しても、しょせん不良になるだけ」というパターン。つまり、鷲尾樹のことですが。これも、なんとかならなかったのか。ラノベのテンプレ以上のテンプレです。少なくとも、鷲尾という男の立場にたってものごとを見た上で、練りこまれた設定だと認めるのはむずかしいと思います。

  不良、ヤンキー、ゾクだったとしても、恩田陸さんの「ドミノ」に登場するピザーヤ津田沼店の店長さんのような社会人になる人も、実際のところ、少なくはないでしょうし。