曽根圭介さんの「あげくの果て」(角川書店)

 

  桜の季節もとっくに過ぎた初秋の朝、哲治は桜の樹々に囲まれた市立病院に向かいます。「検査」のお知らせを受け取ったのです。哲治は今年70歳になりました。70歳になった老人はみな一斉に、居住地の最寄りの会場で、この一斉検査を受けねばなりません。貧富や、引退する前の役職や社会的地位は無関係。元教師だった哲治は、会場で幼馴染の元板前、大介に会います。健康そのものの哲治とちがい、大介は酒・タバコが大好き。胃の調子が良くないと言っていながら、医者嫌いで病院で診療を受けることを拒み続けてきました。やがて、係員が入室、検査対象者たちの点呼をとります。女性の場合は「明菜さん」「エミリさん」など、1990年~2010年代の「女の子に流行りの名まえ」がつづく。そう、時は21世紀も半ば。かつての経済大国・日本は、いまや4流貧困国に没落。産業らしき産業もなく、あふれた失業者たちが、新たな技術立国として富裕になった東南アジア諸国や、旧ソビエト連邦支配下で低迷後、民主化に成功して経済的大成長中の東欧諸国に「高収入」を求めて出稼ぎに行く状態。

  一方で、長寿をきわめる高齢者たちは増える一方。子どもを生みたがる人は、もはや珍しい存在。教育環境が劣悪なのです。大学を出て、やっと「一般の会社の正社員」への道が開けるという時代にも関わらず、国民の多数が貧困なため、ほとんどの子どもたちが中卒で「汚れ仕事」に雇われて、家計を支えなければなりません。大卒で正規雇用されても、事故や病気で何か月か休職したら、それが貧困状態に直結します。どんな貧困者でも納税免除されたりしません。国庫はそこまで危機的な状況。そして労働世代が払う税金のかなりが、老人医療や高齢者の年金に充てられます。自然、そのシワヨセは高齢者にも及び、高齢者は「無だな人間」として軽蔑、忌避されています。そんな高齢者たちの尊厳を取り戻し、高齢者福祉社会を目指す政治運動家たちのグループが乱立し”ギン”と総称される一方、かたや、政府の肝いり的に、若者や子どもたちの未来を救えと主張するグループも乱立。”アオ”と呼ばれます。”ギン”と”アオ”による内戦が勃発してもおかしくないのに、テロが発生するものの、暴動さえ起きません。それは、「現在」が「戦時下」であるため。貧困国にも関わらず、どこから戦費を調達しているのか、日本は東シナ海付近を主戦場として、数十年にわたり外敵と交戦しているのでした。街の至るところには、戦意高揚のポスターが張られ、男女兵士たちの出征と戦死の知らせは、ありふれた日常です。

  そして、70歳の老人たちに強要される一斉検査の目的とは・・・・・・第2話「あげくの果て」など3つの中編を収録。

 

 

 

  曽根圭介さんは「江戸川乱歩賞」と「ホラー大賞」をダブル受賞という派手なデビューを飾った作家さん。

  乱歩賞受賞の「地底魚」は、ユニークなタイトルから期待を湧かせますが、その期待を裏切らない新人離れした実力を見せつけてくれる面白いミステリーです。

  しかるにホラー大賞短編賞受賞の「鼻」はといいますと・・・・・「怪作」。期待が満足された、というより「昂奮に血流が騒ぐ」と言った方が、ふさわしいと思います。鮎川哲也賞によって今村昌弘の「屍人荘の殺人」が降って湧いたときには、エンタメ界が昂奮状態に陥りましたが、それに近いものがあります。デビュー作で同様の昂奮を起こしたのは、他には、乙一さんの「夏と花火と私の死体」、辻村深月さんの「冷たい校舎の時は止まる」、有川浩さんの「塩の街」、高見広春さんの「バトルロワイアル」などが、かろうじて肩を並べるかと。しかし、乙一さんの「夏と花火と私の死体」は選考委員に栗本薫さんがいらっしゃらなかったら、たぶん永久に日の目を見なかったであろう作品、辻村深月さんの「冷たい校舎」はあまりに達者なために「メフィスト賞受賞の新人作家さん」だとは思いもよらなかったという人多数、「塩の街」は「秀逸すぎるラノベ」という認識が先歩き、「バトルロワイアル」もゴミ箱行き一歩手前だった作品。順当に受賞、かつ、しかるべき昂奮をおこしたという作品は「屍人荘の殺人」と「鼻」の2作に尽きるかと。藤原伊織さんの「テロリストのパラソル」を、なぜ含めないのか。「テロパラ」は乱歩賞と直木賞の2冠に輝く名作として名高く、乱歩賞の中で1、2を争う傑作であることは認めますが、「良い作品」でも「昂奮」(「屍人荘」が巻き起こしたのは「集団酩酊状態」だとも思うのですが)を呼ぶまでに至らないものが多数であること、そして藤原伊織さんと「テロパラ」を強く支持するという傾向は、ミステリーファンの一部「全共闘世代」にほぼ限定されている、という2点を考えずにはいられませんでした。

 

  さて、一時期、ネットのホラー板などは「鼻、鼻、鼻」の連呼状態にも関わらず、当作を読んでいない私。ひと足先に、デビューした高田侑さんと曽根圭介さんが、まったく判別できなかった、からです。

  高田侑さんはデビュー作「裂けた瞳」はあまり知られていないものの、2作目の「うなぎ鬼」で、大ブレイク。近年、コミック化もされたので、いまなお「ブレイク中」なのではないかと思います。あまりに「黒い」「怖い」「おもしろい」と評判なので読んでみたのですが・・・・・・どなたか、この作品の「怖さ」と「おもしろさ」を、私に教えていただきたいです。

  拓未司さんの「パンダ」っぽいのが、ヤバイのか。この系統で荻原浩さんの短編「おかあさまのロシアのスープ」を「怖さ」の点で超えるのは不可能に近いと確信しています。「グロ」「エグ」「ゲテ」であっても、「コワ」にするのは難業。「ブラック社会の男ども」に関しては、筒井康隆大先生の「男たちの描いた絵」を上回るのは至難の業でして、このテーマで真っ向からホラーをやろうとしたのはこの「うなぎ鬼」だけだと思います。「ぬらぬら」「ぬめぬめ」「てろてろ」は確かにいやですが、田中啓文さんの「グラートⅡ 青い触手の神」の「キモワル・ホラー度」を超えるのは難しい。

 

  そんなわけで、曽根圭介さん=別人・高田侑さんと思っていた私がこの「あげくの果て」を読んでしまったのは、ひたすら不気味な書影に思わず平台から手にとり、「そのまま、他の新刊書にまぎれて」書店レジへ持って行ってしまったから。

  すぐに気づいて返品したら、この「幸運」とは無縁で終わったかもと考えると、怖いです。

 

  3作の中編には、どれもミステリー風の味付けが凝らされており、「驚き」「騙し」のための伏線もバリバリなのですが、1番ミステリーらしいミステリーに仕上がっているのが、第1話「熱帯夜」。いうなれば、「ヒッチコック系」あるいは、一部のミステリーファンから高評価のロマン・ホラー連作マンガ「悪魔の花嫁」系ともいえる作品。「あの男はだれ」「アイツのヤバさの理由はなに」。「どう見せるか」のお手本にもなりそうです。「平板さ」を「起伏に富む波乱万丈」であるかのように読ませてしまう「幻術」みたいなもの。私は、芦辺拓さんと芦原すなおさん、蒼井上鷹さん、相沢沙呼さん、神永学さんの作品に関しては、「発想に惹かれてよんだのに見せ方が平板なためギブアップ」なことが多いのですが、各作家さんにはこの1話を読んでいただきたいと切望します。

  というわけで「とても面白く読めた。でも考えてみると、すごい事件でもない」と気づいてしまう第1話。

 

  しかるに「気づいたころ」には、たぶん第2話「あげくの果て」の冒頭20ページばかりを読んでしまっていると思います。そこまで読んでしまうと、中断するのが難しいのが、この第2話。この第2話や、映画「ブレードランナー」のような「近未来」は、実は「バックトゥザフューチャー」の「近未来」より、よほど現実に迫っていると思うのですが、真っ向からこの近未来像に挑戦している一般エンタメ作家さんは篠田節子さんくらいしか見当たらないかも(「子羊」「静かな黄昏の国」「斎藤家の核弾頭」など傑作が勢ぞろい)。実は、近ごろ、ラノベを漁っている理由は①秀逸ミステリーが埋もれている ②貧困国日本または世界的大貧困な近未来が標準になっており、「黄昏な近未来」をさまざまな切り口で見せてくれる、主として、この2点があるからです。

 

  そして、第3話「最後の言い訳」にとりかかると、これが「ゴミ屋敷」と「蘇生人間」つまり「ゾンビ」に関する物語。この二つの要素がどう結びつくのかを、充分、楽しみ、納得していただきたいです。この1作で、ダークエンタメの大作家というべき小林泰三さんを、あるいは超えてしまったのではと感じさせるのに充分。ただ、小林泰三さんを読んでいると、しばしば「こんな超越した作品を書ける小林泰三さん=じつは非攻撃的サイコパス」説をふりきれなかったりするのですが、曽根圭介さんの作品の根底には、初期の東野圭吾さんに通じる「確固としたヒューマニズム」が感じられます。たとえば、東野さんの「悪意」「虹を操る少年」「赤い指」「仮面山荘殺人事件」などは「他者の生物学的人間性、精神的人間性を踏みにじるもの」を「悪」として割り切っているからこそ成り立つ作品だと思うのですが、曽根さんのスタンスにも同様のものがあるかと。

  小野不由美さんの「屍鬼」では「起き上がり」になるかならないか、その点がかなり曖昧だと感じたのですが(一応、こういう人は死んでも起き上がらないという「法則」みたいなものは、発見できたと思うのですが、自信無しです)、「最後の言い訳」には「これをしている人は蘇生人間になりやすい」という点が明白にあかされます。震えが来ました。特記すべきは、チビデブな男の子そのものの小学校時代の主人公に「肚を据えろ」「筋道を正せ」的なことを「拳」「蹴り」をもって示してくれた空手少女・愛のカッコよさ。

  ふむふむ、「空手」だと「上の強さの連中」相手にケンカして勝てるのか。やっぱり、最強武術かもとおもうのでありました。