朱野帰子さんの「対岸の家事」(講談社)

 

   高校を卒業した詩穂は、寡夫である父をひとり置いて、実家を出ました。彼女が14歳のとき、母が亡くなり、以来、家事一切をこなしてきた詩穂。それが当たり前だと思っている父に愛想が尽きたのです。

   その後、詩穂は居酒屋店員の虎朗と結婚。同時に美容師の仕事をやめ、専業主婦となりました。虎朗は低収入ですが、仕事と家事を両立させる自信が、詩穂にはなかったのです。住まいは、築40年以上の賃貸マンション、その中でも狭い部屋でした。

  詩穂が隣家の主婦、礼子とはじめて会話したのは、長女の苺が生まれて参加した親子教室で。

  本物のダイヤのピアスを煌めかせた礼子は、短期間の育休中。保育園の話題を振られても、詩穂は困惑するばかり。専業主婦であることを話すと、今度は礼子が困惑しているようす。

  そう、子どもをベビーカーにのせて公園には、顔見知りのママ友どころか、ママ友候補の母子さえいない、という現実を、詩穂は初めて知ります。そもそも「専業主婦」という存在を見かけないのでした。

  夫が並外れた高給取りでもないのに、外に出て「仕事」をしない詩穂を、礼子は理解できないようです。今の時代、母が生きていたころに比べても、「家事」は「仕事」だと認められていないのでした。

  それでも、少ない家計をやりくりしながら、誰もいない公園に通い続ける詩穂。

  単調に過ぎていくかに思われたある夜、騒ぎにきづいてマンションの廊下に出てみた詩穂が目にしたのは、二人目の子どもを抱いて、狂ったように自宅のドアを叩き続ける礼子でした・・・・・・

 

 

 

  朱野帰子さんの作品の特徴。それは、冒頭の掴みの良さ。

  「一日でいい。だれかにご飯をつくってもらいたかった」

  本作の冒頭です。専業主婦か否かに関わらず、既婚の、あるいは同棲中の女たちの多くが、ここで作品世界に引きこまれるのではないでしょうか。

  冒頭部分や序盤の巧みさで読者を引き付ける作家さんの中で、大御所といえば東野圭吾さんが浮かびます。作品の是非、好悪はともかく「マスカレード・ホテル」の冒頭など、「売れる作品」のお手本。書店で立ち読みした時点で、すでに引き込まれて買ってしまった、という方もいるのではと思います。

  東野さんが「シーン」で引き込むのに対し、朱野さんは「文章」で引き込むタイプ。

  ただ、最近、特に新人作家さんの文章力は軒並みアップしており、「掴みのよい冒頭」を書く作家さんは増える一方ですが。

 

  問題は引き込んだあとの展開。実は、「冒頭部分が一番おもしろい」作品も急増しているのが現実。

  今回の「対岸の家事」はどうか。

  まず、冒頭部分以前に、タイトルが秀逸なわけですが。

  タイトルでわかるとおり、「家事労働」がテーマ。

  しかし、物語を動かしていくキャラクターは以下のとおり。

  低収入家庭の専業主婦を選んだ詩穂。

  隣人のワーキングマザー、礼子。有能な営業ウーマンだったのに、出産後、総務に異動、涙を飲んでいます。総務部でも有能ですが、仕事ができても欠勤が多いと、人事考課はダダ下がり。

  詩穂が公園で知り合ったパパ友、中谷。公務員といっても役所勤めなどではなく、霞が関の「若手エリート官僚」。妻の樹里は外資のエリート社員。夫婦の海外出張でマイレージなんて、簡単に溜まってしまう。

  詩穂に声をかけてくれ親しく交際してくれる富裕な老婦人、坂上さん。もしかしたら、詩穂は独身のひとり娘の身代わり的な、という感じも。じつは、ある軽犯罪の常習犯。

  詩穂のかかりつけの内科小児科医院の若奥さん。「開業医の嫁の習わしといわれて、保育士の仕事をやめました。絶世の美女ですが、彼女のまわりは近所の老人だらけ。芸能事務所もここまでスカウトに来たりしません。

  以上は、なんと巻頭でイラスト付きでキャラ設定が紹介されていますが、できればこの紹介ページは、糊づけして、見えないようにしてしまいましょう。

  そして、謎のキーパーソン、白山はるか。

 

  ひとつのエピソードが他のキャラ側からも描かれたり、話はこびは、ひじょうに上手い。

  しかし、ストーリーテリングではなく、「話はこび」というしかできない。

 

  ひとつひとつの「お話」も面白く、個々にきちんと起承転結があります。

  しかるに、感じてしまうのは、これって、ゼロ年代の子育て小説、加納朋子さんの「七人の敵がいる」の裏返しバージョンでは?ということ。

  まだ10年もたたないのに「主婦」と「子育て」がこれほど大きく変貌したということにも驚かされますが。

  しかし「七人の敵がいる」にでてくる主婦たち、母親たち、みな「加納朋子さんでなければ書けない女たち」なのですが。その点をどうしても比較してしまいます。そう、テンプレです。

  礼子は子どもを生むまで、どんな映画が好きだったのか。読んでいた雑誌はなに。ひと段落したら、レタスクラブとリンネルと、どちらを読む? マック派かモス派か、それともフレッシュネスバーガーのクラシック派か。想像を膨らませることができません。

 

 そして、「結局、ほんとうに”悪い人”はだれもいなかった」

 あんな人まで、幸せになってしまう。

 

 こういうとき、無性に角田光代さんの「森に眠る魚」を読み直したいなどと、心に「魔がさす」わけですが。まさに「魔」のささやき、読んだら読んだで、ダークになるのは明白です。

 

  子育てに、「少しだけ」疲れているひと、明るい気分で布団にはいりたいひと、なにより、マンガ「ぽっかぽか」の世界が好き、というひとには、「良品保証」のおススメ作品です。