吉野万理子さんの「いい人ランキング」(あすなろ書房)

 

   木佐貫桃は海辺の町に住む中学2年の女の子。1学期まで「小川桃」でしたが、夏休み中に。苗字がかわりました。病弱なシングルマザーだった母、愛子が再婚したのです。再婚相手は、医師で町一番の病院の跡取りである木佐貫昇留。マリーナ沿いの高級住宅地に豪邸を構え、愛子と結婚するや、新しく家族となった愛子、桃、そして桃の妹、鞠のためにクルーザーを、ぽんと買ってくれるほどの、たいへんなお金持ち。桃は、下町のコーポ住まい貧困家庭の娘から、一気に大金持ちのお嬢さまへと、ステータスがアップしたのでした。苗字がかわったことで学校で何か言われるのではないかと気がかりな桃は、同じクラスの親友、友亜に電話しますが、友亜は仮に何かいわれても最初の数日だけ、そもそもクラスメイトたちとは苗字ではなく名まえや愛称で呼び合う雰囲気だ、と軽く宥めてくれます。はたして、そのとおり、桃は、「苗字が変わった」というイベントを軽々突破。

  というのも、出欠をとったあとの担任の話に、みなの注意が向けられたため。迫る文化祭の出し物「ミス、ミスターコンテスト」が職員会議でダメ出しされ中止が決まったとのこと。このコンテストはクラスの「女王」、スタイリッシュな沙也子が親友であるクラスの「プリンセス」、超絶美少女の知奈津にミスをとらせようと目論んで提案したものでした。その代案として、文化祭後に沙也子は「いい人ランキング」の開催を提案。知奈津もたいへん乗り気のようす。トップカーストのふたりの影響力は大きく、全校あげてクラスごとにランキングの投票が実施されることに。

  日ごろから、こっそり掃除をさぼったりせず、頼まれれば授業のノートをクラスメイトたちに見せてやり、穏やかで優しい桃。友亜はまちがいなく、そんな桃こそランキングに選ばれるべきだし、実際、選ばれるだろうと言います。はたして、いい人ランキング投票の結果は、ダントツで桃がトップ。知奈津は母が働いている花屋でもらってきたという豪華なトロフィーを桃に渡します。沙也子は桃にインタビュー。クラスを明るく元気にするような回答をしなければと思いつつ、うまく言葉にできない桃。「クラスのいい人」で居続けたいと思い、いつでも快く貸してあげられるようにノートに工夫をこらし、クラスメイトたちを喜ばせようと前にもまして嫌なことも引き受けます。

  ところが、ある時、国語の試験で桃のクラスだけ、かなり悪い平均点をとってしまいます。みなに貸した桃のノートに誤りがあったのでした。それを機会にしたかのように、桃に対するクラスメイトたちの態度が変わりはじめます。しかし・・・・・・ノートの誤記は、ほんのきっかけに過ぎず、桃に対する「悪意」はクラスの中で、以前からひっそりと育まれていたのでした。「いい人ランキング」に隠されていた悪夢のような「真の目的」とは・・・・・・?

 

 

 タイトルの「いい人ランキング」を見た時点で、「ヤバいんじゃないか」「これは、かなりイタいのでは」と直感なさった方、多数ではないか、と思います。その感覚、それが、たぶん、自然です。

  もし「気が利くね」「親分肌!」「姐御だよねえ」「助かっちゃう」「優しいね」「癒されちゃう」などなどではなく、「いい人だ」と「言われ慣れている」人がいたら、ちょっとだけでも注意して、自分と身の回りを見直すのも良いか、と。

  たとえば、人間、自分が心の底から信頼して好感を持っている人、いざというとき親身になってくれると心の支えにしている人を「いい人」と呼ぶものでしょうか。さらに、たとえば親友、心の友として、無条件の好意を抱いている人に、「あなたって、いい人だ」って言った経験がありますか。そんな軽々しい、上っ面感いっぱいの言い方はできないと思います。

 

  職場に「とてもいい人」がいます。T君という男性です。長くなりますが、その「いい人」ぶりをご紹介します。

  T君は、10分、20分の休憩時間にも絶対に休んだりしません。私や私と同種の「欲望と快楽に負ける、しょーもないやつら」は、チャイムとともに、おしゃべりや、スマホや、ニンテンドースウィッチ(若干ビンボーなばあいは3DS)やらに走ってしまうのですが。なにしろ、休み時間に「遊ぶな」「休むな」と言われてもねえという感じに開き直って「公然と」休憩を楽しみます。午後の20分休憩には、おやつはもちろん、カップ麺レベルの軽食くらいまで食べてもよいので、食欲に走るヤツらもいます。他人様のゲーム画面を覗きながら、担々麺や豚骨けいの「脂こってりスープ」を液晶にまき散らすヤツもいて、たまに軽い暴力沙汰になります。

 が、T君は休み時間にも寸暇を惜しんで働く。それだけなら、まったく個人の自由なので、目クジラたてることもないことは、もちろん先刻承知です。こちらもT君本人の仕事にまで口だっするほど、おせっかいではありません。そう、T君本人の仕事なら、ば。

  T君は休み時間になるや、”一見、仕事がおくれているように見える”S君の仕事を、勝手に手伝って進めてしまう。S君本人は、貴重な喫煙タイムなので、喫煙ルームに直行、”モク友”ともいうべき、これまたしょーもなく時流に逆らう愛煙家たちと”紫煙のひととき”という肺がんと隣り合わせの快楽に浸っております。しかし、S君も曲がりなりにも社会人なので、”ここまでは、ゆったりペースで仕事してたけど、この一服を楽しんだら予定通りペースアップしよう”などなど思案し、段取りをつけてから休憩と喫煙を楽しんでいるわけです。しかるに休憩が終わって席に戻ると、勝手に進められてしまっている仕事。しかもS君なりの方法で進んでいるわけでもない。たてていた段取りはメチャメチャです。そこへ、T君が「仕事たいへんそうで、進んでいなかったから、ちょっと進めておきました」と、ひとこと。思わず殴り返しちゃったりしなかった、”おとな”のS君に拍手したいところです。

  仕事が一段落したらまとめて片づけよう、途中でかたづけても無駄手間だし、と計算した上でデスクまわりの空箱や、塗料の汚れ、プラのバリのクズを放置している原型師のAちゃんの周囲を勝手に片づけ、原型のデザイン画を捨てそうになったり、まあ、いろいろ「進んで」手間仕事をしてくれ、結果として”存在しなかったはず”の仕事をふやしてくれるT君なわけですが、なにしろ「いい人」なので、気配りも欠かさない。パワハラ気味の上司からメンバーたちの面前で、手ひどく叱責を食らったときなど、直後に真っ先に駆けつけて「大丈夫ですか?」と気遣いを示してくれるのも、まず99.9%がT君です。私は仕事は上手とは言えないのですが、妙に要領がよいので叱られることは少なく、T君の気づかいの標的にされたことも皆無にちかかったのですが、過去のある日、ついにやられました。パワハラ上司とはいっても、根拠のないことで叱ったりするわけでもなく、私が出荷トラックを停めちゃいかねない盛大なミスをしたために叱責されたわけですが、万座の前で、しかも武かたちや後輩たちの面前で罵詈雑言を浴びたあとの心境は、はっきり言って「放っておいてくれ」「私の存在は忘れてください」以外にありません。”好意的な放置状態”の中で、とにかく急ぎめな仕事をしつつ(ミスのフォローという仕事はパワハラ上司が完遂してます。ミスによっては、これ以上、ミスをしでかした本人に任せられない、というものもあるわけでして)気持ちを立て直そうとするわけですが、そこへ、また皆の面前で「大丈夫ですか?」と気遣われましても・・・・・。だいたい、こういった場合、他のメンバーは「あれだけ手ひどくやられたら、だれだって大丈夫ではない」と察している上、、大丈夫ではなくても仕事仲間としては何もできない、と理解した上「放置」選択するわけです。現に私も何度も 「気遣っていることをさとられないようにしながら、放置」選択を過去、たくさんしています。「気遣われている」ということも、自尊心が傷ついている人間にとっては、「むしろ負担になる」「気遣いはイヤだ」というマイナス効果になる場合、多々なのです。で、底意地の悪い私は、「大丈夫じゃないけど、大丈夫にしてくれるの?」とT君へ逆襲しちゃったわけですが・・・・・

  長くなりましたが、書いてるうちに、T君エピソードを思い出して(公開できないエピソードもいろいろあります)、腹がたってきましたが、「いい人」といわれる人の中には「腹だたしい」ひとも、かなりの数、生息しています。

 

 この作品のヒロイン、桃はここまで極端ではないものの、読者からの感想は、そうとうに残念な子。

 「病気の人、落ち込んでいる人には、ポジティブで前向きな言葉をかけなければ」と母、愛子の闘病中に「学んだ」ようですが、そうだとしたら「学んでいない」も同然、いや、もっと、たちが悪い。心身が病んでいる人の中には、「ポジティブな言葉」こそが猛毒だ、という人たちも少なくない。これは、たとえば一度でも重めの抑うつ症状を経験したことのあるひとには、ご理解いただけるのではないか、と思います。
 あと「病弱な人」「体力のない人」は他人にやさしくすることができなくて当たり前、的な「決めつけ」思考を、優れた発見のように思っているあたりもどうかと。

  ここまで、他人の立場や状況を鑑みて対応できない、柔軟さに欠けたヒロインに好感がもてないというひとが少なからずいるというのも、良くわかります。そういう読者さんたちに共通する意見が「桃は、ドンくさい子」。自分のことには敏感ですが、他人に対しては鈍感そのもの。

 

  友亜にさえさられて、クラス中の悪意の的にされた桃は、妹が「師匠」とよぶトンデモ中学生にアドバイスをうけるのですが、覚えたのは「真にいい人」になる方法ではなく、「いい人認識されながら、反感を買わず、孤立もしない世渡りのための表面的な方便」。

  「学んだ」成果として、桃は敵対・訣別した沙也子を味方にする手段を実行にうつします。それは、公募作文に、沙也子が人知れず行っている「動物愛護という善行」を作中で無断で公表して、「そんな尊敬すべき沙也子に比べて、猫を一匹飼うだけがやっとの自分は未熟者だ」と卑下してみせること。・・・・・・私が沙也子だったら、ブチ切れると思います。自分が「善行」をしていても、秘密にしておきたい、という人は実に多い。これみよがしに「募金という善行」を見せびらかすかのような「赤い羽根募金」が廃れていったのも、当然の帰結。献血者やドナーの匿名性は、医療上の諸事情と「善意の無名の人」でいたいという人間の気持ちが上手く合致した例だと思います。

  あと「人まえで、むやみに褒められたくない」という人も、けっして少数派ではありません。

  まして、唖然とするのが、この「無神経」としか思えない作文を、国語教師が 「他にはみられない”気づき”がある」と大絶賛するシーン。「何も気づいていない」も同様、へりくだっているように見えて、”沙也子をほめてやっている”という”上から目線ほめ殺し”作文としか、読むことができなかったのですが。

 

 この作品は 「いい人」批判をしているように見えますが、作者さんは実は「無私の善意を曲解」している、それどころか、「下心のまったくない善意が存在するということを、ご存知ではない」のではないか、そう考えざるをえません。

 

 善人あるいは善意というものに対して考察をめぐらせるためには、「いい人ランキング」より、宮沢賢治様の遺作的短編

「虔十公園林」のほうが、はるかに考え方を深めてくれると思います。ただ、この短編はヘタをすると、「知的障害者のみが、純粋・無私な善意を持てる」と誤解されそうな点が心配ですが。実際、賢治様がお書きになった理由として、「知的障害」に対する差別や侮蔑をなくしたい、という気持ちがあったことは、理解に固くないです。