吉川トリコさんの「マリー・アントワネットの日記 Rose」(新潮文庫NEX)

 

  1770年。オーストリア。女帝マリア・テレジアの末娘、トワネット(マリア・アントニアの愛称)は14歳。美人ではないけど、愛らしく、宝石よりもリボンやレース、お花が大好き。なんでも茶化してしまう「お道化(おどけ)」た性格だけど、生まれ持った優雅さが素敵な女の子。続々と他国へ嫁いでいく姉たち。姉ヨゼファが亡くなったため、繰り上がりでフランスの王太子ルイのもとへのお輿入れが決まったトワネット。早くもフランス風にマリー・アントワネットと呼ばれるようになりました。若い頃は奔放な性格で、恋愛結婚までしてしまったのに、中年になってお説教臭くなった母マリア・テレジア。窮屈な少女時代とサヨナラしたくて、結婚話がうれしくもあるトワネット。フランス王室から贈られた王太子ルイの細密画もお気にいり。イケメンじゃないし、少し鈍感そうだけど、優しそうな感じがする肖像画です。

 その年の春、王太子ルイの祖父、フランス国王ルイ15世が贈ってくれたガラス張りの馬車に乗って、トワネットはフランスへ向かいます。フランスに入ったとたん、押し寄せる歓迎コール。そしてトワネットはヴェルサイユ入り。ドキドキの新婚初夜。しかし、何もなし。ルイからはノーアクション。それでも、と待っているうちに、寝落ちしてしまったトワネット。もしや「白い結婚」?

 と気にする余裕さえありません。トワネットは見る間にヴェルサイユの貴族社会の複雑な派閥争いに巻き込まれてしまいます。ルイ15世の3人の王女たち、つまり王太子の叔母たちが急接近。そして、ひときわ目立つ超絶美人のデュ・バリー夫人。叔母たちが言うには「デュ・バリー夫人は国王の寵姫で、ヴェルサイユを牛耳っている悪女、しかもトワネットの悪口を言っていた」とのこと。そう、いつのまにかトワネットはショワズール公爵を中心とする「反デュ・バリー夫人派」の旗頭に祭り上げられてしまったのでした・・・・・・

 

 

 書店で平積みされ、淡いピンク系イラストの書影が目立ちまくっていた一冊。そのイラストを見ただけで、「あ、ヒロインはこんな素敵な女の子」と表紙買いする人、多数では?と思います。

 内容は悲劇のフランス王妃マリー・アントワネットが書いた日記という設定の「マリー・アントワネット伝」。ヒロイン、トワネット(マリー・アントワネット)がギャル系お嬢という設定なので、文章が軽いこと軽いこと。しかも、ギャル語、ネットスラング満載。しかし、違和感を感じるのは、最初の10ページくらいまで。それから一気に、トワネットの物語に引き込まれます。

 キワモノかと思いきや、非常に優れた「伝記小説」でした。

 

 爆笑したのは、トワネットが初めてヴェルサイユ宮殿を目にして、「でかっ!」「こんなもん、なんでつくった?」「つくらせたルイ14世バカなのwww」とカルチャーショックのあまり爆笑してしまうシーン。しかも、宮殿のなかは、寒々しくて居心地最悪。目がチカチカするゴージャスなシャンデリアに、デコラティブな内装。「どや、豪華やろ?」とドヤ顔の押しつけがましさは成金オヤジみたい、ともはや諦め気分のトワネット。しかも、男性貴族たちがこぞって、お化粧。華麗過ぎて笑えてくる衣装。トワネットの絶望が目に浮かぶようです。

 以前、東京都美術館に「バロック&ロココ展」を見に行ったのですが、その時の印象がまさにこんな感じでした。バロック及び初期ロココのもはや「悪趣味」の領域に達した「豪華絢爛」。そんな貴族社会の流行が、マリー・アントワネットの時代になると、途端に繊細でエレガントな趣味の良さに転じます。彼女が美意識の高い女性だったことは多くの人々が一致しているところ。それゆえ、悪名高い「首飾り事件」は今では、完全に「マリー・アントワネット被害者説」で落ち着いています。問題の首飾りが、彼女の趣味とは正反対のデコラティブで成金趣味なシロモノだからです。

 

 今まで「ルイ16世→♡マリー・アントワネット」説の伝記が多数派でしたが、この小説では「トワネット→♡王太子」説。実のところ、日記には描かれていない真実は「トワネット♡王太子」なのだろうという気配がするのですが。トワネットには王太子の真情がわかりません。

  お化粧だらけの貴族たちの中で、スッピンで、しかもカジュアルな服装の王太子をトワネットは、ひとめ見て気に入るのです。

  そして、なんと、王太子とのお忍びデートに成功するトワネット。行く先はパリ、オペラ座。たちまち周囲にバレて、VIP席に座らされますが、王太子がこのデートを楽しんでいるようす。トワネットの胸はときめきます。

  そんなところに、突如、登場するのがイケメンのスウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。この方、肖像を見る限り、青年期より初老期のほうがはるかに「いい男」。しかし、ふたりの出会いシーンが「お互い最悪第一印象」なのが神設定というしかありません。

 

  デュ・バリー夫人もすてき。 長く彼女に声をかけなかったトワネットがついに圧力に負けて、彼女に声をかけます。

  さぞ、デュ・バリー夫人が勝ち誇り、高笑いするかと思いきや、夫人は涙を流すのです。形の上は「王太子妃派」に勝ったのに、宮廷で大きな顔をすることもなく、トワネットに対する親愛を控えめに示そうとするデュ・バリー夫人。トワネットは大混乱です。

  ちなみに現在では、さまざまな同時代人の証言から、デュ・バリー夫人が、無邪気で、わけへだてない心優しい女性だったことが判明しています。

 

  トワネットが単なる軽薄なギャルでないところも良い。彼女の「女がひとりで生きていくのがむずかしいのなら、みんなで生きていけばいい」という述懐は名言と言ってもいいと思います。

 

  マリー・アントワネットというと、「ベルバラ」やキルスティン・ダンスト主演の映画「マリー・アントワネット」が有名ですが、「ベルバラ」のいかにも昔っぽい画風、男装の美女オスカルには、なぜかときめくことができません。キルスティンの映画にいたっては監督のソフィア・コッポラを呪い殺してしまいたくなるレベル。

 遠藤周作さんの「王妃マリー・アントワネット」は傑作だけれど、なにかがちがう感じ。

 その「なにかがちがう感じ」の欠落感を、この吉川トリコさんの「ライト文芸を装った傑作伝記小説」は見事に補ってくれました。今まで出会ってきた中で、いちばん魅力的なマリー・アントワネット像です。

 

 続巻「Blew」も発売されているのですが、フランス革命まで描かれているということなので、読むのを躊躇しているところ。トワネットには、「愛らしい王太子妃」のままでいてほしい、と感じてしまいました。