昨日は、2泊3日で
開催しておりました
山陰スピツアーから
戻って参りました。
http://erickson.bz/news/post-1.php
今回もまた
ステキなご縁や
シンクロがあり
主催しているワタシも
嬉しい旅となりました。
詳しいレポートは
参加者の方たちの
写真が届いてから(他力本願寺)
しようと思います。
んが、
戻ってから
うちの会社に
クルマを取りに
戻らないと
いけないので
一緒に帰った
五歳児神主の
ゑ竜ちゃん こと
西江さんと
話していた時に
今までなんとなく
思っていたことが
急に腑に落ちて
「だよねー!」
って思ったんです。
ツアーの行程に
「賽の河原」が
ありましてね(怖)
その「賽」と言う
字について
話してました。
賽の河原の
賽という字は
お賽銭の賽と
同じ字なんです。
賽=投げる・手放すと言う意味。
賽の河原は
肉体を手放す
河原なんですね。
そしてお賽銭は
銭を手放すと言う意味。
つまり両方
それに対する
執着を手放す
と言う意味です。
なので、
それで何かを
得ようとする事
自体がモヤモヤする(苦笑)
まあ、それで
商売をされてる
人もいるので
あんまりとやかく
言いませんが
神社に神様がいて
自分の個人的な願いを
叶えてくれると
言う考えには
違和感を覚えます。
個人的には
随神の祈り で
神々の働きを
自分の身体を
使っていただき
お手伝いしたいと
思っています。
そのお手伝いを
「させていただきます」
と、宣言しに行くのが
神社参拝の目的です。
で、その話を
している最中に
鳥居の話しに
なったんです。
鳥居の上に
石を投げて
無事に乗ると
願いを叶えると
言う方法が
昔からあります。
それも、
考え方として
全く同じであると
言うお話でした。
石を投げる
これはつまり
「意志を手放す」
と言う意味です。
無事に石が
鳥居の上に
乗った時には
「ああしよう・こうしたい」
と言う自分の意思は
手放すべきだと
思うんです。
すべてを
天にお任せする。
巷では
固い意思や
強い願いを
持ちなさいと
言われています。
毎日、毎日
願望を実現する
言葉を唱えるとか
その逆の言葉を
唱えるとか
言われてますが
それにも同様に
強い違和感を
感じていました。
うん、それして
そのように
なってる人も
見た事ないし(苦笑)
ええ、ワタシ
昔っから
そんな事して
何になるの?
って言う派(笑)
望む状態を
頭の中や
心の中で
観て感じてみる。
そして、
一度体験をして
その日が来るのを
楽しみにしておく。
その後は
忘れてしまう(苦笑)
そして、
数日後
数ヶ月後
数年後には
「あ、これ観た!」
って思う事が
多いんですね。
まあ、海馬や
前頭葉が
誤作動してるの
かも知れませんが(爆)
まあなので
ワタシが感覚的に
していることって
太古の昔から
そのやり方が
伝わってるんだなって
思ったんですね。
うん、ワタシ
座右の銘が
「適当」だから(コラー)
ま、脳の働きや
目に見えない
世界の事が
はっきりするまで
どっちがいいのか
判りませんが
大事なのは
「どっちが違和感が無いか」
だけだと思います。
違和感があるのは
脳や心や魂が
抵抗をしてるから。
大事なのは
やはりそこだなって
思ったんで
年内の講座の
資料作るのに
てんやわんやな
最中なんですが
忘れないうちに
書いておきます。
現実逃避で(コラー)