前記事の続き。

 

休職と退職の狭間で、

訳もわからずモヤモヤしていたけれど、

「休みたいと言えずに泣いている小さな女の子」

というワードに強烈に引っかかった。

 

 

そこから、自分を見つめてみると、

スルスルと小学生の時の自分に戻っていった。

 

 

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『具合悪いから学校行きたくない。』

小学生の時に何百回も母に言った言葉。...
 

なぜ行きたくないのかわからない。

具合もそんなに悪くない。

でも、とにかく毎朝母に言った。

化粧をする母にまとわりついて、

毎朝、毎朝。

 

母はうんざりした顔をして「はいはい」と返事をする。

そして私は「本当なんだよ・・・。」と言ってシクシク泣き出す。

でも、絶対に休ませてはくれない。

無理矢理車に押し込まれて学校へ行く毎日。

そして学校へ行けば、何事もなく1日が終わる。

 

そんな毎日。

 

私の「学校行きたくない」は、

発熱したとき以外、一度も叶わなかった。

休むどころか、遅刻も許されなかった。

 

 

その一方で、

お兄ちゃんは耳鼻科系が弱く、
その時期毎日のようにお母さんと病院へ行き、
学校に遅刻していった。
お母さんは心配そうに兄に寄り添い、
兄は痛がりながらも、
のんびりご飯を食べ、
のんびり着替えをし、
私が学校へ行く時間にも
のんびりテレビを見ていた。

 

この頃から、
私はお兄ちゃんよりも愛されていないと思い始めた。

 

 

そして、何百回の
『体調不良アピール』は
見事に失敗に終わり、
『いい子』『男勝り』でいることが
母から称賛されることに気づいた。

 

 

中学生の時の方が

いじめられたり、

部活で精神的にギリギリになったり、

体がしんどかったりしたけど、

あんなにしつこく体調不良を
訴えたことは一度もない。

 

 

そこからずっと、

体調不良アピールは

私の中で「禁じ手」になり、

それをやってくる大人が大嫌いになり、

それをやってくる子どもを大切に扱う

「小学校の保健室の先生」

という職業についた。

 

 

 

今回、退職ではなく休職を選択することは、

私にとっては「禁じ手」。

ありえないこと。

絶対周りに受け入れてもらえないこと。

そんな風に思ったから、完全拒否をしたのだな、と思った。

 

 

私、

重病人じゃなくても、学校休みたかった。

お兄ちゃんみたいに大切にして欲しかった。

「えりも学校休んでいいよ」って言って欲しかった。

「大丈夫?」って聞いて欲しかった。

 


まだあの時の満たされない思いを
大事に抱えていたのだな。

 

 

もしかしたら、
あの時の思いを満たすために、

 

 

お母さんに
『学校休んでいいよ』って
言ってもらうために

 

わざわざ

 

 

 

『学校』

 

 

という職場を選んだのかもしれない。

 

 

・・・アワワ( ̄□ ̄;)

 

 

教員歴15年。

ひた走ってきた。

しかし、蓋を開けてみればこれだ。

 

 

いっぱい泣いた。

あの頃の小さい私をよしよしして、

いっぱいいっぱい泣いた。

 

そしたら笑えてきた。

 

 

なんだ、コントか!!!!

なんて壮大なコントだろう!!!

人生の半分近く

それに命かけてきたぜ!!

 

 

よし。

寝たいときはずる休みしよう。

有休がなくなったら休職とろう。

マスター前は体力温存で休もう。

そんでもって、

やりたいことに向かって休みながら進もう。

休職でも退職でもいい。

どっちでもいい。

まだ休職の方が怖いけど、でもどっちも選べるんだ。

 

 

だって、私、

学校休みたいもん!!!!(笑)

 

 

はぁ、やっと書けた(笑)

 

 

これに気づくためのたくさんのヒントをくれた

マスター同期のみんな、

本当にありがとう。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚