この時期、とにかく私はスピリチュアルに関して理解を深めたい思いが強まっていて、気になった方のブログやYouTubeを読み・聞き漁っていました。
と、そんな時、こちらの動画に出会いました。
Happy Creator Ayumiさん
必要なものは既に自分は持っている。
私利私欲の為にあれもこれもと引き寄せるのではなく、元々自分の持っているものを満たしていくことで、自他共に心豊かに生きていくことができる社会が実現する。
この動画を見た時、
「少欲知足」という言葉を思い出しました。
これはお経の中に出てくる仏教語です。
この言葉を分かりやすく説明してくださっているコラムを見つけました。
(※浄土真宗本願寺派 総合研究所
「み教えの言葉を学ぶ」より)
記事の画像ファイルを貼り合わせたので少々読みにくいですがご了承ください
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私が「神・仏・魂・天使」が皆同じ宇宙存在であり、宗教はアプローチの違いなだけで、元々信仰するものの源は同じなのではないかと思った事を裏付けるように、Ayumiさんも仏教の教義も同じ事を言っています。
お経の中で、この「少欲知足」という言葉の前には「和顔愛語」という言葉が来ています。
この「和顔愛語」についてのコラムでも、
スピリチュアルの考え方(求める世界の方向性)と仏の教えが同じである事に気付かされました。
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「自他共に心豊かに生きていくことのできる社会の実現」
目指すところはここなのです。
私がアカシックに繋がった時に受けた宇宙からの光。
それはまさに「不断光」であり、このような光に出会うからこそ私の心が柔らかな心となり、穏やかな表情や心からの優しい言葉(和顔愛語)が生まれるのです。
これまで私はお寺の仕事を「嫌だ、嫌だ」と思い続けていました。
何度も何度も小さい時から耳にしていたはずの、肝心な仏の教えを全く理解しようとすることなく、ただただ「お寺の仕事」の表面的な不自由な側面しか見ていなかったのです。
スピリチュアルな世界について誰かに学んでそれを生業にする事への違和感(自分には違うという気持ち)は、ここにあったのかもしれません。
私はお寺の仕事をするべきなのかもしれない。
仏教の面から「自他共に心豊かに生きていくことのできる社会の実現」を目指して、メッセージを発信していくことが私に与えられた役割なのかもしれない。
「嫌だ。やりたくない。」から
「出来るかもしれない。」に気持ちがシフトした瞬間でした。













