というわけでここ半年以上、両足の不調により歩行困難なため、車椅子生活をしている。
入院してからは病院から貸し出しの車椅子、移動距離がとにかく広いため自宅にいる時より濃い車椅子生活になってしまった。
数十メートルある病棟の廊下を車椅子で滑走するなどして時間を謳歌しているわけだが。
歩けなくなって初めて、足や舗装された道のありがたさに気づくものだ。
当たり前を当たり前に感謝するのである。
情けない話だが。
数歩分離れた場所に簡単には行けなくなった。
気軽に渡っていた道がひどく困難になった。
近所だと思っていた店はもうオデカケの域だ。
ああ、なんて恵まれた日々だったのだろうか、歩けてた頃は。
歩くことを面倒だ嫌いだと豪語していたものだ。
できるだけ歩きたくないとすねていた。
足が動かなくなって気づくのだ。
歩けた日々の眩しさに。
いやもちろん、再び回復ののち足も元の状態に戻すつもりなのでリハビリもがんばっているが、しかし、ありがたさを噛みしめることは確かだ。
ああ、もっと足を強く愛しておくべきであった。
足に限った話ではなく、我々は「当たり前」に囲まれて生きている。
当たり前たちのおかげで人間生活を楽しめているわけだねえ。
それって別に個人差は山ほどあるからこそ、言うほどはなくてさ。
もう自分の全て自体が不足・欠陥含めて感謝を感じるツールなのだ。
ううむ、表現が難しい。
感謝とはイコール当たり前であるというか、同じ位置に在るものなのだ、実は。
人間とは学びや経験値を欲するがゆえにどうしても、わざわざ感謝を感じるシチュエーションを体験したり意味づけたりする。
しかし、実際は感謝はそこに常に存在するものであり、何かがあったりなかったりすることで生まれるものではない。
その意味で「当たり前」なのだ。
しかし、だからこそ貪欲な魂たちは当たり前を失う経験を選んだりする。
世の観方としては、全てが当たり前でかつ感謝という捉え方で行くべきなのだ。
何もかも当たり前ではあるが、大いなる感謝を司るものなのだ。
感謝が当てはまらないものなどないのだと。
絶賛リハビリがんばり中です。
歩くって大変だなぁ・・・・・
