月守ワーク受付は25日まで。
うちのブログを長い間見てくださっている方なら少し驚かれるかもしれない。
事件というか。
朗報であるのだが。
母と和解した。
20年ぶりだ。
私とお話されたことのある方はもう一生母と話すこともないのだろうみたいなことをよく話していたのをご存知だろう。
理由はいろいろだし、母はそう思っていないだろうが、私は母から虐待を受けて育っていたというのが一番の理由かと思う。
若い頃は許すことができなかった。
キッカケは、私が今療養中であることだ。
正直、病状が重いので後悔を残さないよう、母に言い残したことをなくそうと思ったのだ。
とはいえ、言い残したことなど反省のみであった。
私は自分に厳しいが他人にも厳しい。
他人の意見を論破する習慣があった。
人様の姿勢を批判することも多かった。
思想を受け入れないこともしばしば。
若い頃の自分はそんな感じで。
特に感情的な性格だった母を責めることが多かった。
酷い娘だ。
そこに関して、とにかく1度謝ろうと。
腹を痛めて生んでくださり育ててださったのに批判ばかりで。
なんともイヤな子供ではないか。
私も母も若くない。
その程度、謝罪しておくべきだろうと。
母は母で、私に対していろいろ言い過ぎだったり行き過ぎた態度があったことを誤ってくださった。
あっさり和解であった。
ちょっと大きな気づきがあったのでここで覚書を兼ねて残しておきたいのだが。
実は和解には「理解」が必要ないということだ。
許す許さないもどうでもいい。
ただ、相手の思想や意見、感情を客観として捉えるだけでいいのだなと。
私には私の意見や思想があり、相手には相手のものがあり。
合えばラッキーだが、合わなくてもアリなのだ。
実は世界平和の基礎もコレだろうと。
様々は国や人種、宗教があり、みなそれぞれぞれ強い信念を持っている。
自分の信念を大切にして、愛すことが重要で、他人を覆すことが重要なわけじゃない。
ただそれだけだ。
場合によっては相手の思想や感情を愛せないだろう。
嫌悪感を抱くだろう。
でもいいのだ。
嫌悪をいただくことと、相手を倒すことは話が別だ。
十人十色。
誰がどうあってもいい。
まずここから。
謝罪はしたし、よい関係修復にもなった気はするが、相変わらず母の考えや感情は理解できないし、好きでもない。
しかし。拒否や批判は完全にやめた。
「そういう人間もいる」という捉え方に変わった。
清々しい。
ありがとうございました。

