さて、本日のお題は「受け入れるということ」です。
これは、別に自分の宿命を受け入れなさい、とか、そのままの自分でいいんです、とかそういうことではありません。
例えば、あなたの友人があなたの価値観では考えられないことをする。
あなたにはそれが許せない。でも、その友人は別に悪いことをしたとは思っていない様子。
あなたはどうしますか?
→その友人のやっていることがどれだけ悪いことかを、事細かに説明し、相手にわかってもらえるまで話をする
→「そんなことを続けるのなら友人やめるけど、あなたどうするの?」と選択を迫る
→そこでは我慢をして、何もなかったように振舞う
→何も言わずフェードアウトする
などなど、いろんな形があると思います。
これは、友人だけではなく、家族・恋人・会社関係の人、いろんな人に当てはめてみてください。
別にどの答えが正解とか不正解とかはないですよ( ´ ▽ ` )
ひとつ例をあげるとすると、以前の私だったら
「は?何してんの?それをして私を怒らせることが、君の頭ではわからないの?どれだけ想像力ないの?ねえ」
と、まあこれは序章ですが、
このあと相手を完膚無きまでに叩きのめすような言葉を選び、
相手が頭を下げて許しを乞うか、
泣くか、
怖がって逃げ出すか、
自分の納得のいく態度を相手が取るまで、責めつづけていましたね(遠い目)
そんな私が、私の体の半分以上は怒りでできているな、と自覚し始めたとき、怒りの原因は何なんだ?と自分を観察することがありました。
それは怒りを抑えようという目的ではなく、怒りをコントロールできたら、怒ってる自分に振り回されなくなるなという考えからでした。
怒っている自分を放っておくと、怒りの原因とは全く関係ない人にまで被害が及び、どっかから変なエネルギーが出ているのか不明ですが、家の電化製品がことごとく壊れていく。
そして怒りが収まったときに、壊れかけた人間関係や、壊れた電化製品を修復するために奔走する。
とってもめんどくさい!
自分の怒りのパターンを見てやろう!そこから始まった自己観察の日々。
そうすると、ちょっとわかりやすいパターンが出てきました。
まず、自分が怒るきっかけ→自分の気分を害することをされる→馬鹿にされているのかと思う→私を軽く見るんじゃねぇという形
ここらへんが私の中でとっても大きかったです(ーー;)
とりあえずなんでもかんでも「馬鹿にしてんのか?」がとても強い。
軽く見られることに関して、超敏感(笑)
これって、結局自分が評価されてないことに対してコンプレックスがあるから、認めたくなくって怒ってるんでは?と自分なりに答えを出して苦笑(⌒-⌒; )
その評価されないことがコンプレックスになった要因まで探して、自分なりに納得して終了。この過去については、私の中の思い出として取っておいている部分なので割愛します。
で!その探索中に気づいたことがあります。
まず、自分の思っている通りの評価をさせようとしていること→相手への期待
自分の納得がいく反応を相手に求めていること→自己満足と相手への期待
結局、相手の考えや人格を否定して、相手を自分の思い通りに変えようとしているわけです。
そしてそれがうまくいかないと、また新たな怒りを生み出すと。
これぞスパイラルですよねヽ(´Д`;)ノ
自分の性格やくせを直すのはなかなか骨が折れる、そして自分のそういう部分に対して別に嫌悪感を持っているわけでもない。
ただ、相手に期待してそれが自分の思った答えじゃなかったからといって怒り散らすのはあまり好きではない。
そこで私が考えた対応策
「この人はこういう考えなんだねー、ふむふむ」と一旦自分の中で受けれてしまう。
怒りが湧いても、それをすぐに出さない。少し考える時間を持つ。
付き合いを続けていくのもいかないのも、私か相手が決めること。
嫌だったら付き合いをやめるか、距離をおいたらいいし、付き合いを続けるのならその部分を自分が受け入れるか、その部分にこだわらなくするのが手っ取り早いよなーと思うようになりました。
すぐにこれを実践できるようになったか?と聞かれれば、いいえ(*゚∀゚*)!と答えますが、これをちょっとずつするようになって、怒りに振り回されることは少なくなりましたか?と聞かれれば、はい(*゚∀゚*)!と答えることができます♪
あ、かといって、明らかにこちらの尊厳を傷つけようと何度も来られた場合は別です。
これは喧嘩をしましょう♪という宣戦布告だと受け取り、堂々と受けさせていただく所存でございますヽ(・∀・)ノ