つくしんぼ

 

  爆弾の破片で

  犬の内臓が二つに切断されるのを見た日

  戦争はたしかに子供たちの目の前にあった

  つくしんぼの上にとび散った腹わたを見まいと

  トロッコの車体の下にうずくまって

  飛び去るB29を みんなで数えていた

    

 

         蝉

  ラジオがひびわれた声をっはり上げていたあの日

  熱病のようにおとなたちをとらえていた戦争が終わった

  犬の死体のあった草叢は杉菜がボウボウ青かった

  トロッコの線路がまっすぐに土手を切りさいて輝き

  工場のまわりの林で蝉がふるように鳴いていた

             (「軍需工場の町」から)

 

 それでもその日私は本当は軍需工場の町にはいなかった。蝉が騒がしく鳴いていた話は学徒動員から帰ったお姉さんから岩手の農家の縁側で聞いた。

 

 その日私はたまたま近くに疎開していた従弟と役場の傍の冷たくおいしい水を汲みの大きな薬缶をぶら下げて行った。

 夜の5時を過ぎないと電気は来ないから、お昼前に唯一電気の来る役場前の広場に集まるように大人たちは告げられていた。

 西の方のどこかで、ものすごい爆弾が落ちたという噂は聞いた人もいると後で知った。でも大本営はぱたりと様々な放送をやめていた。

       

 

   

 

 役場の脇を通ると、茫然と頭を垂れたまま立っている人、ひざまずいて泣く人、ただ座って無表情な人、大人たちが聞いている放送は相変わらずひび割れ、語られている言葉は意味不明だった。私たちはそこを離れてさっさと薬缶をもって家に帰った。

    

 

    

 

    

       

 それだけのことだった。11月雪が来ると動けない.荷馬車を乗り継ぎ、貨物列車で上野まで帰った。

 軍需工場の町はその特権を失い、戦後の食糧難の方が私たちにはつらかったことだけ覚えている。