スタートは共働き。職場が私の方が近かったこともあって食事の用意は私でした。小さな家を建てた頃は掃除や庭の草むしりなどは一緒にやってくれました。属している県の郡部に近い学校もないことで、夫は宇都宮市内の高校の定時制に異動しました。そこで出会った様々な事情の生徒たちを見てカウンセリングの必要性を悟り、埼玉の団地に住む私の両親のもとから東京の大学に通い内地留学で勉強しました。
私も宇都宮市内の中学に移ることができ、児相からの申し出でで娘を迎えることになりました。その間は夫は男子高、女子高と異動、男女校に移るころは県の教育研究所相談部長兼任となり土日も引っ張り出されることが多くなり否応なく家事とかかわれなくなりました。
埼玉の父が手遅れの胃癌で宇都宮で最後はなくなり母が宇都宮に移ってきました。次の年これも複雑な事情を抱える叔母を転地療養させてもいいかと言われ請けいれました。
一緒に旅行も行きました。みんな家族と一緒、叔母は子供好きなのに孫の面倒も見させてもらえなかった分、娘をかわいがってくれました。むしろ母より「ちいばあちゃん」の方に娘はついて歩いていました。母は宇都宮へきて国際交流の会に入り、外交的な人なので生き生きと外に出ていましたから。
叔母はよくなっても自分の家に戻りませんでした。でもただいるのは窮屈と見え家事を手伝ってくれるようになり、私も楽になり夫は4人の女性に囲まれて全く関白太政大臣と30年以上が経ったというわけです。叔母は従弟がさすがに世間体が悪いと引き取りに来るまで11年家族として過ごしました。

