同じ英語の授業から移動する時だったと思う。その時私と歩いていた人が鹿児島のラ・サール出身とは聞いていた。背の高い丸顔の人がきて手を挙げ二人がしゃべり始めた。私はあっけにとられて彼らのおしゃべりを聞いていた。これは英語より難しい。先を急いでいたからすぐわかれた。
教室に会ったことのあるような人がきて私を待っていた。この間クラスの友達と一緒にあったと名を名乗られた。あら今日は日本語なんじゃないと思った。「休みの日にあえませんか?」「土曜の午後なら」「では映画を見に行きましょう。」「は~?」行ったのが「わんわん物語」だった。そのあと何度か誘われたけれどいつも忙しく疎遠になった。校内であっても笑顔を交わす程度に終始した。
学校祭で演劇をやったことは以前書いた。その1か月後クラス雑誌の2回目(2冊で終ったけど)が出た。それが配られた日私は仲良しの友とは別の英語のクラスだった。教養課目の大きな部屋に入ると友が手招きする。なぜか多くの人がが面白そうに人の顔見ている何?友が唐突に私に尋ねた「アコ(と呼ばれていた)S君とキスした?」「は~?」
S君は芝居に出ていた3人の主役の仙人の一人で家の近くに下宿している。練習の後帰り一緒になり途中までしゃべったが…。「これ読んでみて。」S君がかいた小説だ。それによれば芝居が上がった後二人だけで会館のバルコニーに上がり口づけを交わしたってある。練習帰り彼がジャンパーのジッパー上げたり下げたりするのを見て「壊れるわよ。」といった。だがそのあと自分がもっていたバッグのジッパーを一度上げ下げして「でも意外といい音するものねえ。」と確かに言った。小説によればそれは私が彼と同じ気持ちをを持った証に他ならない。「は~?」
どうしたかって?どうもしない。私は無視し続けた。仲良しグループの一員のままの態度をとり続け2年になって旅行に行くときに彼が参加するといっても反対も何も言わなかった。それだけのことである。
私きっと鈍感なのっだと思う。従弟達に紹介したNさんだって一緒に尾瀬沼に従弟たちと行こうって誘われたからいったけど、彼が大学を出て関西に赴任する時まず両親に結婚したいといったこと。家の苗字を継いでくれることなどすべて話して許可を得たって聞いたのはそのあと。彼は私もずっとそういう気持ちだと思っていたらしい。薄暗い廊下の端で私を抱き寄せようとしたときびっくりした私は思いっきり彼の頬っぺたひっぱたいた。生涯でたった一度の経験である。大学で貧乏のどん底になったけど、中途半端にはできずなけなしのお金はたいて夏休みに大阪へ行き、両親と交わした約束は忘れてくれと頼んだ。彼は君の家が貧しくなっても構わないって言ったけどそれは関係ない。あとで母には伝えたが母は何にも言わなかった。仲良し3人組の女どもはまだ誰も恋だの愛だのとは無縁の存在だったらしい。「よかったわね。」で終った。
皆傍らにいた人がなんとなく離れがたい存在になったのは大学3年が終わるころだったかもしれない。
一つ不思議なこと私の大学時代の写真、夫のアルバムから探した。よくまあ一緒に写っていること!こんなに傍にいたんだわねえ。
