少女が日記にこのことを書いてきたのは、中学2年生だった。
今はほとんど小学生のうちに来るし、宣伝も兼ねて具体的なその日の準備も教わっている。農村の生徒もそのころは中学生になるとちゃんと情報を得ている。でも私の時代は具体的な話はなく漠然とそういう日が来るよって説明で家庭に任せていたような気がする。
私にその日が訪れたのは中学1年の夏休みだった。母は大磯の叔母のお産が間近だからと3,4日いなかった。びっくりした私はクリババを私の部屋に呼んだ。
状況を悟った彼女はすでに今のような便利な生理用品などない時代手作りのすべての準備をすぐ私の3畳の部屋に運んでくれた。多分彼女はしばらく前から私のために準備していてくれたようであった。そうしながら彼女は「一人前の女性におなりですよ。おめでとうございます。」と涙を浮かべて私に祝いの言葉をかけてくれたのだった。
晩はちゃんとお赤飯を焚いてくれた。朝から忙しく準備し鯛の塩焼きの皿さえ真ん中にのっていた。面はゆい気持ちでいる私に継父は何も言わなかった。ひそかに告げてあったのだろう。普段は後で食事するクリババにも継父が「一緒に食べましょう」と声をかけて静かに三人で食事したのを覚えている。
普段は食事の世話がほとんどの彼女だがいつも傍らで見守っていてくれる存在だった。
余談
ナプキンと呼ばれる生理用品が出現したのは1961年ごろ。農村にまで普及してきたのは東京オリンピックのころからだ。田舎の学校もセンターから運ばれる給食が配られるようになり廊下で配膳を待っていた時、男の子が薄紙で包まれた袋を持ってきて文字を読みながら「ナプキンてなに?」と聞いた。1年の優秀な女の子「食事がすんだら口を拭くものよ。」私何食わぬ顔で「どれ、先生にチョウダイ。」ともらってポケットにねじ込んできたけれど、食後お上品にその子が口の周りを拭いている姿を想像しておかしくてしょうがなかったっけ。


