大学病院にいきました。風がものすごく冷たいのでタクシーで行きました。
寒風に晒されながら椿が一輪咲いていました。
病院はどこも無機質ですが、PCの画面からこちらを向いてちゃんと話してくださるドクターはすきです。
雪の夜話の結末は二つありました。そしてもう一つを載せることはできませんでした。こちらもはばかられました。でもお話して下った病気の症状のところは忠実に載せました。
昭和四十三年二月十日。昼から降りだした雪が、やむのを忘れたように降り続いている。病院のガラス窓の向こうは、見る間に白い雪におおわれてしまったが、昼間からフォグランプをつけて走る車のタイヤに溶かされて、舗装道路だけは、雪が積もらなかった。和香子は白い布の下によこたわる息子の側で、その雪を見ていた。
冬休みからの風邪がぬけずに、正月は高い熱で過ごした。休日にみてくれる医者を探し回って、やっとうってもらった注射に、熱は下がったが、注射の跡がいつまでも傷口になっているのを漠然とした不安で眺めたことを思いだす。食欲もなく、朝からゴロゴロし、夕方になるときまって熱はあがった。どこもかしこも回復を拒んでいるような息子を連れてこの病院に来たのは十日前だった。
白血病は息子の場合、死の宣告だった。夕べは小康状態が続いたあとで、お気に入りの童話の本をめくっていたが、目がチカチカするというので、本をとじさせた。そして、昏睡。酸素テントの中のあらい息。死。今、冷たくなって抱かれて帰る車のフロントがラスに、雪が降りかかる。
されいに清めたからだに、結晶の模様のセーターと、灰色のフラノのズボンをはかせる。白いコートもいれてやろう。フードをかぶると、和香子の自慢のやわらかい巻き毛がかくれてしまう。もっとも息子は、「天然パーマ」とからかわれるといやがったけれど、色自の彼にはよく似合った。クリスマスに夫と三人で買い物を楽しんだのが、息子の元気な姿の最後だったような気がする。皆がふりかえってみるほどかわいい彼に、夫も和香子も得意だった。白いブーツは、コートに合わせてあの日に買ってやったものだが、とうとうはくことはなかった。それも入れてやった。夜の雪とともに凍りついてしまった時間の流れの中で、和香子は涙を忘れて、息子の姿を見ていた。
紺のセーターに灰色みズボンの姿。白いコートに白いブーツの姿。どこかで会ったことがある。どこか別のところで……。深い雪のある日に……。そうあの時。雪が溶けるょうに、初めて涙が溢れて、和香子は夫に支えられながら泣きじゃぐっていた。
降り続いた雪のあがった日。近所の子どもたちがつくったかまくらが春の日射しに溶かされている。露地を出て運びだされた七歳の少年の棺にも太陽が降り注いでいた。門のわきで、初めてザクリと雪のきしる音がきこえた。
でも本当はこの雪の日に私は流産しました。そして出血が止まらず急遽麻酔する暇もなく掻把しました。激しい痛みが去った後二日後にトイレに行くため立ち上がって窓の外の雪を見ました。断続的に降った雪と寒さで未だあちこちは白く覆われていました。私はその中に小さな白いコートの少年の後ろ姿を見たと思いました。以後私は身ごもることはできませんでした。でも私はなぜかあの幻を見た時、自分はもう失われた命に別れを告げたという思いがありました。そのことは自分のノートにだけ書かれていて中学生の読む本には書けなかった結末でした。


