母は百歳と七月余り生きました。今日は母の誕生日生きていれば百八歳になります。母はかなり裕福な家に生まれました。姉が二人兄が一人、妹が三人いる真ん中。兄弟の中でも一番日本的な美人であったと思います。(なぜか私は父方似)生きているとき姉妹で集まると「美枝子姉さまは運動神経抜群だったけれど、勉強は一番苦手だった。」と言われて自分でも認めていましたから昭和初期のモガ(モダンガール)でブイブイいっているほうだったと思います。

                 

 祖父の家では鹿鳴館の名残りのような舞踏会がよく開かれていたようすが、そこには外国人もたくさん訪れ19歳の彼女はこんな熱烈なラブレターをもらっていました。

          

                    何行目かにi love youってありますよ。

 反応のない彼女のために日本語はペラペラでも字は書けない彼がローマ字で書いてきたラブレターさえあるのに、彼女は無視し続け、両国の関係は悪くなり彼は故国へ帰りました。その彼がマッカーサーの副官となってついてきていたことは以前書きました。

 そんあ時代を経て大変な戦争中を過ごし、それでも母だけは自分中心の生活を貫いた人でした。

             

 

 幼稚園時代の曾孫を見送りに出てきたり、一緒に折り紙をしたりしてもいました。まったく自分が誰であるかわからなくなっても子供を見ると喜ぶからというと曾孫たちは病院のリハビリ病棟についてきてくれました。幸せな人生だったと思っています