娘が時々いいます。「もう一度ちいおばちゃんにいたかったなあ」と。
 
イメージ 1  ここに中学の頃の娘と写っているふくよかな人は、私の叔母です。93歳で亡くなったと知らせがありました。お世話になっていた老人ホームと教会の仲間の方たちで、お別れもすんだと報告があってからもう10年近い年月がたっています。私は後に教会で行われた偲ぶ会に大磯まで行きました。
 叔母は戦後の没落で財産は失ったのに働く気のない叔父に代わって働き、一人息子を大学まで出し、一流企業に入れました。でも、働き過ぎて体調を崩すと、お嫁さんは邪魔者扱いで、2か月ほど転地療養が必要といわれ私の家にきて、そのまま11年間私どもと暮らしましたイメージ 2
 母が父の死とともに来ていましたから、二人のおばあさんに囲まれて娘は育ちました。叔母は家事になれていませんでしたが、何もしない母に代わって私に楽をさせようと、色々手伝ってくれました。
 私が心おきなく卒業学年の担任や研修旅行に出られたのも、叔母のおかげでした。   イメージ 3
 私たちはずっといてもいいと思っていましたが、母は多分私も娘も叔母の方を頼りにするのが面白くなかったのか、喧嘩して追い出してしまいました。お嫁さんに遠慮する一人息子に気兼ねして一人で生活していましたが体を壊してから老人ホームに入りました。それは先に亡くなった別の叔母とその娘である従妹の尽力によるもので、一人息子は叔母が私の家を出て間もなく先に病死しました。どこまでもついていない人生でした。
 娘の結婚式には脚をいためていて車椅子生活だったのでタクシーを借り切って来てもらいました。それが顔を見た最後でした。
 やっと孫たちも大きくなったのでみんなで叔母を訪問しに行こうと計画を立てた矢先に亡くなったとの知らせを受けました。イメージ 4
 いつも私たちと暮らした11年は本当に楽しかったといってくれていた叔母、私の孫たちの写真を送るとすごく喜んでくれていたのに、ごめんなさいね、ちょっと尋ねるのが遅かったね。
 でも何の病気もなく眠るように逝ったそうです。イメージ 5
 こうして一人の人間が育つうえではたくさんの人の手がかかわってくることもあります。娘も突然私にもちこまれた子供、おまけに母も叔母も私の縁者、なんの血のつながりもないのに、経済的にさえおんぶにだっこみたいな二人を夫は全部ひと言の不平もなしに受け入れてにぎやかな女達に文句を言われても受け流してきてくれました。
 考えてみるととてもすばらしいこと、最近少し年取って口うるさくなってきたけど我慢しなくてはなりませんネ。