京都で凄惨な事件が起きましたので
再度あげます
ご家族から被害に遭っている方
こどもさん
もし家庭や家族に違和感や
息苦しさを感じる人は
各地域の相談センターに相談してみてください
基本的に行政施設は無料です
おうちが嫌なこどもさんは
地域の児童相談所
子育て支援センター
地域の警察署
または近くの交番
夫婦関係、恋人との暴力や
ハラスメントに悩む方は
地域の女性支援センター
警察署の生活相談、婦人相談所
もしくは法テラス
近くの交番
孫や子供からのハラスメント、
暴力、金銭の無心などに悩まれる高齢の方は
地域包括支援センター
市役所の生活相談所
地域の女性支援センター
近くの交番
などをご利用されてください
交番や警察署に相談にいくと
必要な支援センターや
相談施設を紹介してもらえます
子育て論強火なので
文句言いたくなる人はここでさよーならね
長いよ
思うんですけどね
これは、私が子育てして気づいたことですが
よく親は無償の愛を子供に与える
ていうじゃないですか
あれ危険なプロパガンダでね
じゃあなぜ
こどもに暴行を働き ネグレクトし
暴言を吐く親がいるんだってことですよ
私はDV夫婦のカウンセラーしてたことありますが
DV夫は妻を殴りながらこう言うんですって
殴ってる僕だってつらいんだ!
ぼくにこんな辛い思いをさせて
君を殴らせてるきみがわるいんだ!
僕がどんな辛い思いをして
君を殴ってるか
君はわかるか? わからないだろ!
と。
わかるか ボケカス
とおもうわけです
ちなみに最後の行のわかるかわかんないかの
ベストアンサーはないんですね
「わかる」といえば「わかるはずない」と否定され
「わからない」といえば
「なぜ自分の気持ちがわかんないんだ」と殴らる
まあ、どのみち 結果はおんなじなんですわ
思いましたことは
泣いて辛い思いをしながら
それでも相手を殴らずに
いられないとしたら
お前が治療の対象だよ
てことですね
しかし殴られてる方は
自分が悪いのだ
自分が悪いから殴られている
相手に辛い思いをさせている
という共依存体制になってしまってる
昭和の恐ろしいところは
これがふつーに通じたってことです
ある時何かで見た
向田邦子の『寺内貫太郎一家』てドラマでね
かんたろー(小林亜星)は石屋の棟梁なんだけど
過去に自分の過失で娘(梶芽衣子)
の足に怪我をさせて
彼女、足が不自由なんですよ
それをずっとかんたろーは心の傷として
もってるわけね
それで 年頃の娘はある日
恋人ができるんですが
それがバツイチ子持ちの男(藤竜也?)でね
それを知ったかんたろーは暴れまくって
娘をブン殴るんですね
殴られて倒れた娘のもとに母親(加藤治子)が
かけよるんだけど
んまー
そんときのセリフに
昭和までに培われてきた人権意識の狂気の圧縮を
見ましたよねわたしは
母はいうのです
お父さん、
あなたを殴りたかったんじゃない
自分を殴ったのよ
と
はあっ?!!!
なにゆうたはるんですかあー?
殴られて痛いのは娘なんっすけどおー??て
マジいみわからん
邦子、なんでこのセリフ書いたん
昭和の人権意識こわすぎる
まあ、こんなことを経ながら
被害者たちが第一波、第二波フェミニズムと
同調、あるいはその恩恵を利用しつつ
声を上げ続けてきたことで
警察権が家庭に及ぶようになり
DV防止法 児童虐待防止法 高齢者虐待防止法
などができたわけです
それまでに
何人の人が家族によって殺されてきたか
警察白書を見たらわかるけど
自分を殺す可能性が1番高いのは家族なんです
尊属殺人ていうんだけど
それが殺人事件の中ではダントツなのね
しつけだ
冗談のつもりだった
では許されない
子供が親を告発して逮捕される例は
長期休暇期間に特に多いと見受けます
いい時代になりました
家族であれ
ひとに手を挙げてはいけないことを
人類、とくにアジア人は
長いこと理解してこなかったよね
いや、それにしても
寺内貫太郎にはマジで震えたよね
私にひとつ言えることは
置かれた場所で
咲かなきゃいけない義理はない
置かれた場所が合わない場所
そこが
あなたを傷つけるしか
能のない場所だとしたら
はやく
一刻も早く 逃げなさい
そこから離れなさい
そして 生き延びなさい
と言うことです
愛してるから殴る
あなたのために殴る
しつけのために殴る
ていうのはぜんぶうそ
アンガーマネージメントのできない大人が
ストレスをよわいもんにぶつけてるだけです
それに教育、しつけの美名を着せる
ここから逃げたい
ここはつらい、と思ってる人にいいたい
さまざまな社会支援が
その気になれば受けられます
でもでもだって、で
その場に留まる人は
留まることで安心しているひと
修羅の道を自ら選ぶ人です
人として生きたければ
逃げるほかありません
はなしがDVのほうに逸れましたが
戻りますと
親は無償の愛を子供に与えるてのは
真っ赤な嘘でね
無償の愛は
こどもが親に
与えてくれてるんです
どんなクソみたいな親でも
子供にとっては全世界の中心
そして
自分が人生最初に愛した人
だからどんな親であっても
子供はその愛を捧げて
不当な扱いに耐えるのです
いや
耐えている意識すらないのです
それが不当なことだと
幼なすぎてまだわからないから
この尊さに気づいていないクソみたいな親の
いかに多いことか
子供を産んだことを後悔してる
子供が好きになれない
などという親の相談も多くて仕事で受けました
なぜ彼らは子からの愛に気づかないのでしょう
それは思考の地軸が「自分」にしかないからです
親がいつまでも
そのまた親から受けてきた虐待の世界で
膝を抱えて啜り泣いてるこどもの自分と
和解できていないからです
これは親に過失を認めさせて
謝罪させるべきだ
という話ではありません
親と喧嘩しても
過去を持ち出してとやかくしても
意味はありません
すべては過去のことで
相手はそれこそ
覚えてすらいないかもしれないのです
謝罪させて勝ったとしても
後味の悪さが残ります
そしてその勝利には何の意味もなかったと
あとになって悟るのです
つまりこれは
自分の中で過去の自分を抱きしめてあげ、
そして、大丈夫だよ
あなたは幸せになれるよ
ここではないどこかには
あなたを愛してくれる人が
たくさんいるから
安心しててね
と言ってあげること
その「和解」のほかないのです
親と喧嘩するなんて
この世で1番収支があわない
意味のないことなんですよ
さて 私の父方の祖父は 簡単に言うと
とてもくだらない男でした
そんな祖父を私は苦手でしたし
父とも折り合わなかった
彼に可愛がられた記憶はありません
しかしそんな祖父が
私が小学生だったある日 言ったんです
親にとって子供はかわいいものだ
でも、孫はもっとかわいいのだよ と
私が生まれてから彼が死ぬまでの
40数年の人生の中で
いくつかの祖父の発言は
これしか覚えてません
感動したから,ではないです
そんなに可愛いと思う
子と孫に対して
この程度の態度しかとれないって
どんなに内面が貧しいんだ!!
と思ってびっくりしたんですね
親は無償の愛を子供に与える
のアレンジとして
孫は子よりかわいい、というのもある
これもしかりで
孫がクソみたいな祖父母であっても
無償の愛を与えてくれてるんですよ
みんな
なぜそのことに気づかないで
「自分」を中心に子供を判断するのか
こどもほど清らかな存在はない
これは間違いがないと私は信じます
たとえ彼らが反抗しても 反発しても
それすら美しい人間性の発露の一つなのです
その態度の一つ一つが
大人にまなびを与える尊さを放つのです
そのまなびの機会を受け取れないのは
大人側の問題です
こどもがふてくされてる
反抗的である 言うことを聞かない
もちろん本人の特性やホルモンバランスの問題や
成長期の問題、業の深さの問題もあるでしょう
ですが、基本的には親が子に
そのように振る舞わざるをえない環境を
そもそも与えているのです
まあ、いろんなお考えはあると思いますが
私はそう考えています
こどもさんの虐待死
あるいは自殺のニュースを見るたび
死ぬことでしか
親や社会に学びを与えられなかったのだな、
と思います
尊いお役目を果たした子どもさんの魂に
言いようのない切なさを感じます
4月から学校が始まるのが
いやな君にも
何か届きますように
いやならすぐに、そこから逃げなさい
あなたを愛してくれない
あなたが愛せない場所は
あなたにとって価値のない場所です
苦労は買ってでもしろと昭和の人間は言いましたが
買ってまでしなきゃいけない苦労は
この世にはありません
そんなものは変質的精神主義です
逃げることは恥でも負けでもありません
これは、そんなジャッジが及ぶことなど
許されない精神の領域なのです
松岡修造は壁を乗り越えろというけれど
壁は横にかならず横道と隙間があるから
その隙間からひょろりとそれてしまえばいい
あるいは壁にもたれて
リラックスして 眠ればいい
みんな夢を持たされすぎ
大谷翔平を摂取しすぎ
生きる意味を問いすぎ
自己価値をもとめすぎ
他者承認をもとめすぎ
ただ生き延びることこそ尊いこと
あなたはいつか
あなただけの 特別でもなんでもない
ただの安らげる場所 関係に
めぐりあえるはずです
いま
生き難さを感じている
あらゆる世代の方々へ
わたしはそんなふうに考えています