正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)

 

●瞳孔の大きさ

 

 私は、瞳の勉強をしたことがあるのですが、瞳の中にはたくさんの情報があります。ストレスの状態、胃腸や肺というような内臓に関する情報もありました。

 虹彩の中に瞳孔という部分がありますが、亡くなったときは、瞳孔が開いています。

 実際にはほとんどいないのですが、瞳孔が開いて虹彩が小さくなっている人がいます。目の前や隣に自分の好みや趣味にぴったりの人がいて、その人に一目惚れして、ボーっとしている人は瞳孔が開いている。隣の人の目を観て、瞳孔が開いていたら、自分に惚れているかもしれません。

 

 

(イラストはネット画像です)

 

 

 

📚私の読書📚

 

📚652冊目 「マンガ世界の偉人 ガガーリン」 九条友淀 朝日新聞社 📚

 

~人類で初めて宇宙へ言った宇宙飛行士~

 

 

その1 ユーリ・ガガーリン(1934~1968) ロシア

 

 〇地球の外に飛び立った人類初の宇宙飛行士

 

 1961年、地球から、一人の男を乗せた宇宙船(衛星船)が打ち上げられました。それは、人類が初めて宇宙空間へ飛び出した瞬間でした。その最初の一歩を踏み出した人物が、ソ連(現在のロシア)の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンです。

 この時代、対立していた2つの大国、ソ連とアメリカは、宇宙を目指す技術開発を競い合っていました。そんな中で、ソ連は1957年に世界初の人工衛星の打ち上げに成功し、アメリカをリードします。そして、ガガーリンの宇宙飛行成功によって、アメリカを大きく引き離したのです。

 これ以降、多くの国が宇宙開発に取り組むようになりました。そして現在では、530人(2012年11月現在)が宇宙へ飛び立っています。

※2024年までは、約600人くらいだそうです。

 

 

その2 ガガーリンの私は見た!宇宙リポート!!

 

 

①宇宙へ出発だ!!

 

 1961年4月12日午前9時7分(モスクワ時間)、わたしを乗せたポストーク1号は、バイコヌール宇宙基地(現在のカザフスタン)を出発した。

 

 

②宇宙から眺めた地球

 

 宇宙空間に到達すると、窓の外には青い地球の表面が見えた。

 

 

③無重力状態を初体験

 

 宇宙空間に到達すると、地球では考えられないほど体が軽くなり、無重力状態体験した。

 

 

④〝108分間宇宙の旅”終了!

 

 やがて宇宙船は地球へ向かい始めた。いよいよ帰るときが来たのだ。

 

 

 

その3 昔の人が考えた宇宙飛行への道

 

 ①大砲に乗って月へ行く。

 

〇ジュール・ベルヌの宇宙への旅

 

 フランスの小説家のジュール・ベルヌは、『月世界旅行』という作品の中で、大きな大砲の中に、人間を乗せた巨大砲弾を仕込み「人間砲弾」として月へ打ち上げるという方法を試みます。(1880年に日本で発表)

 

 

②露が蒸発する力で飛ぶ!?

 

〇シラノ・ド・ベルジュラックの月旅行

 

 フランスの作家であるシラノ・ド・ベルジュラックは、1649年に『月世界旅行記』を発表しました。その中で彼は、露が蒸発する力を利用して月へ行こうと、露を満たしたビンをたくさん体に巻き付けます。

 数々の失敗を重ねながら火矢付きのようなものをつけてみました。するとこの火矢付きの翼を背負った主人公の体はみるみる空へと上昇し、ついに月にたどりつきました。

 

 

 

③渡り鳥と月へ行く

 

〇フランシスコ・ゴドウインの空想旅行

 
 1638年、イギリスの聖職者だったフランシコ・ゴドウインは、『月の男』という空想旅行記を書きました。その旅行記の主人公は、月からやってきた渡り鳥を訓練し、渡り鳥にひもをつけて、棒に結び、その棒にまたがって、大空へ飛び立つという方法で月まで飛んでいきました。

 

 

 

※その後のガガーリン

 

 ガガーリンは、人類初の快挙を成し遂げた英雄となりました。

 その後、ガガーリンは宇宙飛行士訓練センターで後輩の指導にあたる日々を過ごしました。しかし、大空を飛びたいという気持ちが忘れられず、再び飛行訓練を始めたのですが、その訓練中に彼を乗せた戦闘機が墜落。1968年3月27日、34歳になったばかりの英雄は、大空へ飛び立った大空へ飛び立ったまま、帰らぬ人となってしまいました。

 

※若くしてとてつもない何かを成し遂げた方は、運を使い果たしたのか、若い時にお亡くなりになるケースが多い気がします。せっかく無事に地球に帰還されたのにね。( ;∀;)

でも昔ほど、最近は宇宙開発は進んでいない気がするな…素人で知らないだけかなあ…。

お金がかかるからかなあ?

 

 

 

📚653冊目 「同門 10月号」 表千家同門会 📚

 

 「会津と少庵召出状」  猶有斎  千宗左

 

…会津若松は千家とのゆかりが深い土地です。千利休の没後、京都を追放になった後嗣の少庵は会津へ行きます。当時の藩主蒲生氏郷は利休七哲の筆頭にも名前があがる利休の有力な弟子のひとりでした。江岑の茶書に「利休が切腹を命じられた時、もし氏郷が京都にいたならば、あのような悲劇は防ぐことができたであろう」との話が伝えられるほどです。

 少庵はその氏郷の庇護のもと、会津での日々をすごします。会津には少庵ゆかりの茶室「麟閣」が伝わっています。

  

 また氏郷は徳川家康とともに、少庵の赦免に向けて奔走します。やがてその家康と氏郷の連名で、豊臣秀吉の許しが得られたので京都に戻るようにとの書状が少庵のもとに届きました。これが「少庵召出状」として知られるものです。

 

 こうして少庵は会津に別れを告げて京都へ戻りました。そして大徳寺での修行を終えて還俗した元伯宗旦とともに、現在の小川寺之内の地で千家を再興するのです。

 

 したがってこの召出状がなければ少庵が京都へ戻ることもなく、京都で千家が再興されることもなかったのかもしれません。茶の湯の様相も今日のそれとは全く異なったものになっていたことでしょう。つまり千家が今日の姿で伝わっているのは、この少庵召出状があったからといっても過言ではないのです。

……。

 

※今回、同門の冒頭に家元の名文が載っています。びっくりしたのは、9月に行った松阪城の藩主、蒲生氏郷が出ていたこと。氏郷は、松阪城の次だったかな?に会津に行ったのですね。あの時代に遠くへ…大変な思いをしたことでしょう。

 そしてその蒲生氏が徳川家康とともに、千家を守った…ということに、身震いする思いです。偶然この文を読み、そして今私は3,4年前くらいから表千家を習っています。

不思議なご縁です。ご縁に感謝です。

 

   

⚾10月17日(木) プロ野球クライマックスシリーズ ファイナル⚾

 

ソフトバンク 7-2 日本ハム(福岡みずほPAYPAYドーム)

 

ソフトバンクが日本シリーズ進出に王手をかけた。ソフトバンクは1点を追う1回裏、山川の適時打と近藤の2ランで逆転する。その後は2回に周東の犠飛、5回には山川のソロでリードを広げた。投げては、先発・モイネロが6回2失点の好投。敗れた日本ハムは、投打ともに振るわなかった。(ネット情報より)

 

2本塁打を含む3安打3打点の活躍。中軸の役割を果たした山川選手、ありがとう!!

以前2月の宮崎のキャンプの見学に行ったときに、西武では山川選手と源田選手が人1倍練習をしていたのを覚えています。

やはり一流の人は違うなーとライバル球団でありながら思いましたね。

今回も山川選手、顔が日焼けして真っ黒ですね。

クライマックスまで宮崎でしっかり走りこんだみたいです。

すごいなー。引退しなくてよかったね…しみじみ😿

 

 

 

 

♪私の好きな歌♪

 

「チェリーブラッサム(再)」 松田聖子

 

 聖子ちゃんの初期は、声量がすごくてのびのびしていたなー。

そして天性の歌のうまさ。聖子ちゃんのこういうお嬢様的なワンピースもとてもよく似合っていたな。清楚な感じで大好きでした。

 私には似合いませんが、細い華奢なシルエットがすてき♪

聖子ちゃんカットもやっぱり本家本元の聖子ちゃんが1番ですよね💛

 

 

 今日も見ていただいてありがとうございます。

 さあ今日は少しお出かけをしてきます。

朝早くの日帰りですが、楽しみ♪

明日も用事がいろいろあるけれど、楽しみましょう。

みなさんもよい休日をおすごしくださいませ。

 次回は、月曜日にお会いしましょう。

ごきげんよう!またね…♪