久しぶりの小学生の授業へ向かう朝
先日、小学校で性教育の授業をしてきました。
普段は中学生や高校生と関わることが多いので、小学生に会うのは久しぶり。
「どんな表情を見せてくれるんだろう」
そんな楽しみと、ちょっとしたドキドキを胸に教室に入りました。
特別支援学級の子どもたちとは、
プライベートゾーンの話と、ふれあいサイコロゲームをしました。
仲の良い子たちで、サイコロで出たアクションにも「いいよー!」「やろうよ!」と笑顔で応じる姿がほとんど。
その明るい空気に、こちらまで自然と肩の力が抜けていきました。
「嫌だよ」のあとに自然に生まれた「ごめんね」
とはいえ、みんながすべてのアクションを受け入れられるわけではありません。
中には「ちょっと嫌だ」と感じる子もいて、
素直に「嫌だよ」と伝える場面がありました。
私はそのとき、
「嫌だと思ったら“嫌だよ”って言っていいんだよ」
とだけそっと声をかけました。
すると、その直後の子どもたちの口から自然と
「いやだよ。ごめんね。」
「したくないかな。ごめんね。」
という言葉が続いたんです。
誰も教えていないのに、です。
これには本当に心を動かされました。
クラスの安心感もあるけれど、それ以上に——
先生方が、日頃から“安心して過ごせる空気”をつくり、お友だちを思いやる心を育ててきたからこそ出てきた言葉だ
と感じたんです。
「嫌だよ」も大切な気持ち。
「ごめんね」も大切な気持ち。
どちらも押しつけられたものではなく、
普段の積み重ねがあって自然に出てくる言葉。
その光景に、胸の奥がじんわり温かくなりました。
高学年の「その子らしさ」があふれた時間
次の時間は高学年。
テーマは〈性被害をどう防ぐか〉。
子どもたちに、見た目は子ども頭脳は大人の名探偵になってもらい、
“こんなときA子さんはどうしたらよかった?”という場面をもとに
グループで作戦を考えていきました。
私がしたのは、意見が出たときに
「なるほど!」
「そう見るんだね」
とまず受け止めることだけ。
そうすると、子どもたちは次々と意見を出し始めました。
「A子さん、こうできたかもしれない」
「相談できる人って他にもいるよね」
「気づいてほしいときってあるよね」
そんな“その子らしい言葉”がたくさんあふれてきました。
授業後、養護教諭の先生が
「普段は見られない姿でした。こんなに考えていたんですね」
と驚かれていました。
子どもたちは、安心できる場があると自分なりの言葉や考えを自然と出してくれる。
今日はその大切さを、あらためて教えてもらった時間でした。
外部の授業はその日で終わらない
授業をすることで、私が本当に望んでいるのは、
その日に伝えた知識や経験が、子どもたちの日常の中で少しずつ使われていくこと。
たとえば、ふれあいサイコロゲームのあとに
「○○していい?」
「嫌だったら言ってね?」
そんな言葉が生活の中に増えていくようなこと。
もし忘れてしまっても、ふとしたときに
「そういえば“聞く”って大事だったよね?」
と思い出せること。
そうやって、授業での体験が毎日の関わりにほんの少しずつ広がっていく。
その積み重ねが、子どもたちの毎日を少しずついい方向へ変えていく。
外部として授業に入る私は、その“最初のきっかけ”をそっと置いてくる役目なのだと思っています。
来週もまた小学校で授業があります。
子どもたちが安心して、
楽しく体験できて楽しく学べる時間を一緒につくれたらうれしいです。
❓問いかけ
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今日見えた子どもたちの姿で、あなたの心が動いたのはどんな場面でしたか?
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子どもが自分の考えを言いやすくなるのは、どんな空気のときでしょう?
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今日の学びが、日常のどんな場面で使われるといいと思いますか?
🌱今日できる小さな一歩
子どもの“おっ”と思う発言や表情が出たときに、
心の中でそっと「今のいいな」と気づいてみる。
それだけで、その子の次の一歩が少し歩きやすくなります。
今日のサスケさん💕
パパさんにむりやり服を着せられて絶望ww
かわいい💕

