「これが正しい」と言い切る声に感じたざわめき

 

先日、性教育のセミナーに参加しました。
 

 

講師の方が力強く「これはこうです!」と言い切る姿に、最初は引き込まれました。
明確な意見を持ち、はっきり伝える姿はかっこいいなと思ったんです。

 

 

でも、同時に胸の奥が少しざわつきました。
 

 

言葉の奥に、怒りのような熱を感じたからです。
 

 

 

正しさを貫くことには力があります。
 

 

でもその“正しさ”が、誰かを苦しめたり、
違う意見をもつ人を遠ざけてしまうこともあるのかもしれません。

 

 

それは、性教育に限った話ではありません。
 

 

家庭でも、職場でも、学校でも、
私たちは日々「自分の正しさ」と「相手の正しさ」のあいだで揺れています。

 

 

 

 

 

 


守りたい気持ちがいつの間にか“闘い”になっていた

 

思えば、私もずっと闘っていました。
 

 

闘おうと思っていたわけじゃありません。
子どもたちの気持ちを踏みにじるようなことが目の前で起きると、
怒りがわいてきたんです。

 

 

「子どもたちを守らなきゃ」
 

 

その思いで行動しているうちに、
気づけば、意見の違う先生や大人たちと“戦っている自分”がいました。
 

 

あの頃の私は必死でしたし、それが正しいと思っていました。

 

 

 

でも、振り返ると本当は苦しかった。
 

 

正しさを握りしめている手の中には、
痛みや孤独もぎゅっと握りしめていたんです。

 

 

 


気づかせてくれたのはやっぱり子どもたち

 

どんなに落ち込んだ日も、迷った日も、
子どもたちのまっすぐな言葉や笑顔に、何度も救われました。
 

 

「先生、それでいいじゃん」
「先生も頑張ってるよね」
 

 

そんな一言に、何度も涙が出そうになりました。

 

 

 

子どもたちは、私の“言葉の正しさ”よりも、
その奥にある“気持ち”をちゃんと感じ取ってくれていたように思います。
 

 

 

そして気づきました。
人は正論ではなく、心でつながるんだなって。
 

 

それは、どんな関係でも同じことですよね。

 

 

 


聴くことで見えてきた「同じ願い」

 

闘ってきた相手に、少し関心を持って話を聴いてみたら、
温度差ややり方は違っても、
 

みんな「子どもたちの幸せ」を願っていたことに気づきました。
 

 

 

そうか、みんな同じ方向を向いていたんだ。

 

 

その瞬間、胸の中にあった“正しさの剣”が
少しずつ“やわらかな手”に変わっていきました。
 

 

まもるって、押し切ることでも、勝つことでもない。
わかりあおうとすることなんだと感じました。

 

 

 


正しさをやわらかく受け止める

 

あの日のセミナーで感じた違和感は、
「正しさを語ることのこわさ」でもありました。
 

 

けれど、それをきっかけにあらためて思いました。

 

 

 

私たちは、誰かを守りたいと思うとき、
つい“正しさ”のほうに力を込めてしまう。
 

 

でも、本当に人を守るのは、
「相手の正しさもあるかもしれない」と思える柔らかさなのかもしれません。

 

 

 

まもるって、闘うことじゃない。
わかりあおうとすること。

 

 

正しさを持つことは悪くないと思います。
でも、それを「絶対」だと信じた瞬間に、関係は固くなってしまう。
 

 

正しさはひとつじゃなくていいし、揺らいでもいい。
その柔らかさの中にこそ、人を守る力があるんじゃないかなと思うんです。

 

 

 


🌼問いかけ

・あなたが「守りたい」と思うとき、どんな気持ちが動いていますか?
・意見が違う人に出会ったとき、相手の「正しさ」を聴いてみようと思えますか?
・あなたにとって、“わかりあう”とはどんな行動ですか?

 

 

 


 

 

 

🌱今日できる小さな一歩

 

意見が違う誰かと話すとき、
「この人は、何を大切にしているんだろう?」と
心の中で問いかけてみてください。
 

 

その一言が、怒りをやわらげ、関係を少しあたためてくれます。

 

 


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今日のサスケさん💕

行ってくるよと声かけてもお布団から出ない笑

寒くなったね☃️

かわいい💕