「理由なんてない。あるんだけど関係ないんだ」
ある日の相談で、ひとりの生徒がこう言いました。
「どうしてそうなのかって、聴かれると困る。
理由なんてない。あるんだけど、関係ないんだ。」
その瞬間、私はドキッとしました。
“あるのに関係ない”——その言葉に込められた思いは、
「理由を話したところで、何も変わらない」
「説明してもわかってもらえない」
そんなあきらめや疲れのようにも聞こえました。
その子にとって、いちばん言いたかったのは「助けて」だったのかもしれません。
でも、“助けて”と言う方法がわからない。
そんなとき、私たち大人が「なぜ?」「どうして?」と問い続けると、
その子はますます言葉を失ってしまうことがあります。
支援者の“知りたい”気持ちともどかしさ
支援者って、子どもを助けたいという思いが強いほど、
つい「原因」「理由」「背景」を知りたくなるんですよね。
知ることが助けにつながると信じているから。
でも、知ったところでどうにもできないこともある。
家のこと、環境のこと、心の奥のこと……。
それを前にすると、支援者の側が無力さを感じてしまうこともあります。
「何もできなかった」と思うときの痛み。
その痛みを、私は何度も味わってきました。
けれど最近は思うのです。
“何もできない”ことと、“何もしていない”ことは違う、と。
子どもは“解決”より“共感”を求めているのかもしれない
子どもたちは、いつも「解決してほしい」と思っているわけではありません。
「苦しい」「悲しい」「どうしたらいいかわからない」と感じた瞬間に、
ただ、誰かが自分の存在を受け止めてくれること——
それが、いちばんの支えになることもあります。
心理学者カール・ロジャーズは、
「人は、自分を深く理解し受け入れてくれる人がそばにいるとき、
自然と自らを癒やす方向へ進んでいく」と言いました。
つまり、支援の力は“解決”ではなく、“共感”の中にあるのかもしれません。
「あなたに話した」ことの意味
「誰に話すか」は、とても大きなことです。
その子が「あなたに話した」——
それは、もうすでに“関係の中で起こった小さな変化”なんです。
たとえ言葉がうまく出てこなくても、
涙でも沈黙でも、それは立派なコミュニケーション。
「この人なら、聴いてくれるかもしれない」と思えた瞬間が、
その子にとっての“安心”の始まりなのだと思います。
「何もできなかった」私が気づいたこと
昔、保健室に相談に来てくれた子に、私は一生懸命“解決”しようとしたことがありました。
けれど結局、何もできずに終わってしまい、
その子のことがずっと心に引っかかっていました。
数年後、卒業したその子から一本の電話がありました。
涙ぐんだ声でこう言ってくれたのです。
「先生が一緒に考えてくれたことが、ずっと支えになっていました。
今、とても幸せです。ありがとうございました。」
その瞬間、私はハッとしました。
“何もできなかった”んじゃなくて、
“私だからできていたこと”があったんだ、と。
子どもたちが話してくれたその時点で、もう“何か”が動いていた。
あの日の私にできたのは、ただ一緒に悩むことだけだったけれど、
それでも十分に意味があったんです。
「私にしかできない関わり」を探す旅
支援のかたちはひとつじゃない。
アドバイスする人もいれば、黙って寄り添う人もいる。
どちらも、その人にしかできない関わりです。
「私にしかできない関わりって、どんなものだろう?」
そう思いながら探すことそのものが、もう支援の一歩なんだと思います。
できないことに目を向けるより、“自分だから届く支援”を信じてみたい。
その子をどんなまなざしで見つめ、どんな気持ちでそこにいるのか——
その“自分のあり方”こそが、支援の力になるのだと思います。
きっと、あなたにしかできない関わりが、どこかにあります。
それは、解決ではなく“つながり”の中で生まれるもの。
そして、その関わりは——
もう、誰かの心の支えになっているんです。
💭問いかけ
-
あなたにしかできない関わりって、どんなものだと思いますか?
-
「解決できなかった」と感じた経験を、今、どう意味づけたいですか?
-
子どもが“話してくれた”ことの意味を、どう受け取っていますか?
🌱今日できる小さな一歩
「何か言わなきゃ」「助けなきゃ」と思ったときこそ、
深呼吸をして、相手に関心を向けてみる時間を大切にしてみよう。
言葉がなくても、支援は始まっています。
🕊noteもどうぞ
今日のサスケさん💕
このオヤツは絶対にわたさない!!
かわいい💕

