「発達障害が増えた?」という言葉を聞くたびに思うこと
最近、「発達障害の子どもが増えてきた」と耳にすることが多くなりました。
でも私は、それは本当に子どもが増えたのではなく、
社会の基準や余裕が変わったからではないかと感じています。
私が子どもの頃も、確かにいました。
でも、それは「個性」であって特別にラベルをつけられることもありませんでした。
周りに受けとめる余裕があったからかもしれません。
今は「普通ならこのくらいはできるよね」というラインがどんどん厳しくなっている気がします。
その基準に届かない子は、「発達障害ではないか」と言われやすくなってしまう。
なんだか生きづらい世の中だな、と感じるのです。
養護教諭として出会った子の言葉
養護教諭として学校に勤めていた頃、発達障害と診断された子がいました。
ある日、その子の保護者から「薬を飲まなくなって困っている」と相談を受けました。
本人に理由を聞くと、こう言ったのです。
「薬は飲まないよ。飲まなきゃ、元の自分に戻るだけだよ。」
私はハッとしました。
周りの人はその子の行動に困っているかもしれない。
でも本人にとっては、“誰かに合わせた自分”より、“自分らしい自分”でいることの方が大事だったのです。
この言葉に出会ってから、私は「子どもの困りをどう減らすか」だけではなく、
「子ども自身はどう感じているのか」という視点を忘れないようにしようと思うようになりました。
誰のために?という問い
薬がいいとか悪いとか、私は言い切れません。
ただ、その子の言葉は私に大きな問いを投げかけました。
「誰のために、その子を変えようとしているのか?」
もしかしたら、大人が困らないためなのかもしれない。
学校という枠にちゃんとおさまってくれた方が、周りは安心するから。
でもそれって、本当にその子のためなのかな?
「ちゃんとしなさい」って声をかけるときだって、同じこと。
言葉は同じでも、そこにある思いが「周りに合わせてほしい」なのか「あなたの力を信じてる」なのかで、伝わり方は全然違ってくる。
自分はどこに視点を置くのか
世の中の基準が変わるのは仕方のないこと。
けれど、「誰のために?」という視点を意識することで、
私たち大人が子どもとの関わりで大切にするものはきっと変わっていきます。
そのとき役に立つのが、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)という考え方です。
発達の違いを「欠陥」ではなく「人間の自然なバリエーション」としてとらえる視点。
簡単に言えば、背の高さや利き手が違うように、脳の働き方も人それぞれということです。
この見方に立てば、子どもの「元の自分でいたい」という声は、とても自然な願いに聞こえてきます。
だからこそ、大人がどこに視点を置くのかが大切なのです。
答えは一つではありません。正解もないと思います。
でも「自分はどうしたいか」を選ぶことはできます。
子どもを変える前に、
私たち自身がどこに視点を置いているかをまず考えてみませんか。
今日の問いかけ
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あなたは「誰のために?」という視点で子どもとの関わりを考えたことがありますか?
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子どもの「そのままの声」を聴いたとき、どう受けとめますか?
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自分の基準や価値観は、どんなふうに形づくられてきたと思いますか?
今日できる小さな一歩
子どもと関わるときに、心の中で「これは誰のためにやっているんだろう?」と一度問いかけてみる。
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今日のサスケさん💕
夜風が涼しくなったねぇ…窓際でねんね💕
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