「依存」は悪いこと?
「依存」という言葉を聞くと、みなさんはどんなイメージを持ちますか?
「自立できていない」
「甘えている」
「一人でやれるようにならなきゃ」――。
多くの大人が、そんなネガティブな印象を持ってしまうのではないでしょうか。
でも、子どもたちと関わっていると「依存は悪いことじゃない」と思わされる瞬間がたくさんあります。
むしろ、依存する力は生きていくうえで欠かせないものだと感じるのです。
「自分だけを見てほしい」と願う子どもたち
これまで出会ってきた子どもたちの中に、こんな姿を見せる子が少なくありません。
「私のこと好き?」「毎日来てても迷惑じゃない?」と何度も確かめる子。
逆に、必要以上に反発してばかりなのに、なぜか毎日保健室に顔を出す子。
みなさんの周りにも、そんな子はいませんか?
どちらの姿にも共通していたのは、
「自分はここにいていいのか」「見捨てられないだろうか」という不安と、
「安心できる誰かに支えてほしい」という切実な願いでした。
その願いはときに、相手を自分に依存させようとする関わりに変わることもあります。
相手が自分に依存してくれれば、離れていかない。
そうやって必死に、自分の存在が必要とされていると感じたいのです。
熊谷晋一郎先生の言葉に出会って
そんな子どもたちと出会う中で、私の心に強く残ったのが
小児科医・熊谷晋一郎先生の言葉です。
「自立とは依存先を増やすこと」。
多くの人は「自立=一人でできること」と考えがちです。
でも熊谷先生は、「安心して頼れる人や場がたくさんあること」こそが自立だと語っています。
考えてみれば、私たち大人だって、友人に愚痴を聞いてもらったり、職場の同僚に相談したり、パートナーや家族に支えてもらったりしながら生きています。
誰かに依存することは特別なことではなく、誰もが自然にしていることなのです。
私自身も「依存」していた
若いころの私は、子どもに「必要としてほしい」と言われると全力で「私がいるよ」と応えていました。
その子のすべてを抱え込み、「唯一の存在」になろうとしていたのです。
でもそのうちに、私自身も「この子に必要とされること」で自分の存在価値を確かめようとしていたことに気づきました。
それは、子どもに依存されることに、私自身が依存していたということ。
つまり、子どもと私の間に共依存が生まれていたのです。
その事実に気づいたとき、私は大きなショックを受けました。
なぜなら、「子どもを支える大人」であるはずの私自身が、しっかりと自立できていなかったと知ったからです。
「子どもに寄り添う」という美しい言葉の陰で、
私は「子どもに必要とされることで自分を保っていた」。
そのことを認めるのは、正直とても苦しかったのです。
みなさんも、「支えているつもりが、気づけば自分も支えられることで成り立っていた」――そんな経験はありませんか?
「寄り添う」と「背負う」は違う
そうした経験を重ねてきて、私はようやく気づきました。
大人ができるのは、子どもの「依存先のひとつ」になること。
「唯一の存在」でいようとするのではなく、
「いくつもある安心のひとつ」になることです。
そしてもうひとつ大切なのは、
子どもが安心して依存できる先を増やすサポートをすること。
「寄り添うこと」と「背負うこと」は違います。
背負おうとすると、子どもも大人も苦しくなってしまう。
でも、寄り添いながら「つながりを広げていく」ことならできます。
私たちは子どもの人生をすべて背負うことはできません。
でも、「この大人と一緒なら安心」と思ってもらえる依存先のひとつになることはできます。
そして、
その子の世界にもうひとつ、ふたつと安心できる場所を増やしていけたら――
それは「ひとりでなんでもできる」という表面的な自立ではなく、本当の意味での自立につながるのではないでしょうか。
今日の問いかけ
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あなたの周りに「自分だけを見てほしい」と願っている子はいませんか?
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あなた自身が「必要とされること」に依存してしまう瞬間はありませんか?
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「唯一の存在」でいようとすることと、「ひとつの存在」でいようとすること、どちらが心に余裕をくれそうですか?
今日できる小さな一歩
子どもに「私も頼っていいんだよ」と声をかけてみましょう。
そして同時に、自分自身の「安心して頼れる人」を思い浮かべてみましょう。
依存先を増やすことは、子どもにとっても大人にとっても自立の一歩になります。
noteもどうぞ
今日のサスケさん💕
夜の暗がりで草を貪り食うww
かわいい💕

